『神ながらの道』図解

  −−筧克彦とその思想

       

西田 彰一
(国際日本文化研究センター プロジェクト研究員)

 

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第25回

三種の世界④――三種の世界の略図(pp.117~132)

 前回(第二十四回)は、三種の世界の略図について解説した。筧によれば、「高天原」「中つ国」(「豊芦原」)「根の国」の三種の世界は、最上位の世界である高天原の神の世界によって見守られ、統括された存在であり、またそれと同時に、それぞれの世界は神々によって分担されており、この三種の世界において、それぞれの持ち分においてその本領を発揮している世界でもある。
 今回の第二十五回においては、三種の世界の解説の締めくくりを行いたい。まず筧によれば、三種の世界においては無限と有限の交渉がつねに行われている。「生命は無限として作用し、事情情実は有限によりて役立つ」と同時に「是等の有限無縁の両方が相待つ所に具体的なる現実」が生じるのである。即ち、「此の有限界無限界の合ふ所」に現実界が認められるようになる(筧克彦『神ながらの道』内務省神社局、1926年、118頁))。筧によれば、「生命はどこ迄も活きやう、どこ迄も長くありたいと申す要求」を有している(同上)。これが転じて、よりよくなろう、より美しくなろうという要求が「生命の最も深みより出づる声」なのである(同上、118~119頁)。
 そして、神神の本質もまた、生命の本質そのものと同じで、「常に有るが故に有らしめ、善きが故に善からしめ、うるはしきが故にうるはしからんとして」存在する(同上、121・122頁)。そしてこの作用によって、「神は御自身を以て世界を作り出し、然も其の中に御自身存在し給ひます」のである(同上、123頁)。
 たとえば、家とは、本来家をつくる人の生命を満足させるために、その人の内心にあるものを、その人物の外側に表しだしたものである。これと同様に、三種の世界とは、世界を構成する神神がその生命を満足させるために、その神のはたらきをもって、表現として表したものともいえるのである。すなわち、世界をよりよくしようする「追進が神の本質であり、追進は三種の世界において」行われるのである。よって、三種の世界である高天原、豊葦原、根の国もすべて別天神ならびに神世七代の神々という動かぬ基礎の上に融合して、これ等の神神の御本質を栄えさせているのである。(同上、125頁)
 また、筧は生命がよりよくなろうとする作用(=追進)と、三種の世界の不即不離の関係を、植物の種子にも例えている。種子はこれを土に蒔いておくと、根を出して、肥料のある暗黒の土中に埋まることになる(根の国)。これと同時に、幹や葉を出して、日光や尼露を求めて、どんどん伸び進んでいく(葦原)、そしてやがてそれは、大空において花を開き、実を結ぶことになる(高天原)。このように、種子の生命は内部から三種の世界を表現し、ふたたび新しい種子の生命を包蔵して、またさらに多数の種子がそろって三種の世界を実現するようになるのである(以上、125頁参照)。
 
※次回の第二十六回は、第二十図以降で展開される筧の古事記解釈の前説として、天地開闢と祓についての解説を行う予定である。(p.132~p.162)
 


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