【連載】

「裏日本」文化論


 

唐澤太輔

(秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科准教授)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

『「裏日本」文化論 ―環日本海の文化・信仰・自然―』

『生命倫理再考 ―南方熊楠と共に―』

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第60回

〈結〉


 本連載では、「裏日本」文化という日本文化の潜在部分を掘り起こし、顕在化させることを試みてきた。とは言っても、ただ単に「裏日本」を光源の下に晒すのではなく、なるべく暗いまま謎に満ちたまま現前させることを行ってきた。つまり、そこには、単純に「裏」を「表」化するのではなく、むしろ「裏」を「裏」として強調することを通して、従来の「表」の在り方を揺るがしたいという意図があった。
 本連載では、日本海沿岸を航海した北前船に始まり、琵琶湖北の十一面観音像、新潟県の寺地遺跡や石川県のチカモリ遺跡などの巨木柱列址、秋田県の大湯環状列石、島根県の伊賦夜坂=黄泉比良坂、福井県の気比神宮、越(福井県〜山形県)とヤマタノオロチの関係、同じく越のヌナカワヒメ伝説、北陸と秦氏の関係、鳥取県の青谷上寺地遺跡の絹織物、新潟県を中心とした瞽女と養蚕信仰、白山および白山信仰、殺牛儀礼、秋田県や福井県、島根県などに見られる鶏の神聖視などについて概論的に述べてきた。同時に、日本神話に見られる神々についても、河合隼雄の中空構造論や水野祐の議論などを参照にしながら言及してきた。さらに、夕暮れや風、海など自然現象について、思想的あるいは概念的にも述べてきた。
 それぞれのトピックスに共通するのは、日本と対岸諸国の文化との密接なつながりと、日本人独自の深い精神構造である。筆者は「裏日本」を手放しに礼賛するものではない。当然、そこには様々な問題もあり、全てが素晴らしいということは当然ない。とは言え、やはりそこには古来綿々と受け継がれてきた日本人の精神あるいは日本文化の沃野が広がっていると確信している。
 縁あって筆者は今、秋田県に住んでいる。連載50回目辺りから、秋田で教鞭をとることになった。これまで東京、神奈川、神戸、京都と、いわゆる「表日本」で暮らしてきた筆者にとって、今、「裏日本」そして北方・蝦夷文化との境界である秋田に居ることは、何かしら運命的なものを感じなくもない。
 秋田には、興味深い遺構や史跡がたくさんある。第52回〈鶏の神聖視③―八郎潟周辺―〉で述べた鶏卵塚は、筆者が秋田に来て、初めて見つけた「裏日本」的遺構であった。その他にも、連載の中では触れることができなかったが、秋田と出雲、秋田と越は、色々と密接な関係にあることが徐々にわかってきている。例えば、郷土資料家の伊藤郷人は、以下の文章で、島根県の古志郷や簸川郡(現在は両方とも統合消滅)には、いわゆる「国譲り」神話において、アマテラスの使者タケミカヅチに負けたオオクニヌシの民たちは、秋田へ逃れたという伝説が残っていると述べている。

  ……【出雲の】古志郷と簸川郡あたりには、「たけみかずちのみこと」と諸神との争いの伝説の中に、納得した者共は古志に残り、納得しない者共は「あきた(秋田)」へ行ったとの伝説が残されているが、この伝説はなんであろうか、島根の古志郷と秋田との交流、神話と後代と交錯する伝説で、高志、古志、越、古四と何か共通されていると考えられるのである。(伊藤郷人「神話の中の高志・古志・越の地名と秋田」『出羽路』No.65. 66合併号 秋田県文化財保護協会1979年p.36、【 】内―唐澤)

 タケミカヅチとの争いに負けた人々の逃亡先が何故秋田だったのか。逃げに逃げた先がたまたま秋田だったのか。この伝説については、もう少し詳細に調査する必要がある。しかし、このような伝説が出雲に伝わっているという事実は、筆者にとってはかなり新鮮な発見であった。
 また、本連載でも触れた八郎太郎伝説に所縁のある八龍神社(男鹿市船越)では、八龍権現としてオロチ(大蛇)を祀っている。1804年、この地を訪れた菅江真澄は日記に、

  船越の崎の八竜の社には八岐の大蛇をまつり、葦崎の老婆御前とよばれる社には手摩乳を、三倉鼻の老公殿の窟には脚摩乳がまつられていると伝えられる。(菅江真澄「男鹿の秋風」内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記5』平凡社2000年p.20)

と記している。つまり、八龍神社で祀られているのは、ヤマタノオロチであると述べているのだ。さらに、秋田駅から北西へ約5kmのところには、古四王神社(秋田市寺内桜)が鎮座している。古四つまり越である。このように、秋田と越そして出雲は実はかなり深い関係にあったことが推測されるのだ。
 筆者は、この連載のために調査した事柄をベースにして、これからは秋田の民俗についても調査研究をしていくつもりである。
            ※
 本連載を継続していく際、石塚正英先生(NPO頸城野郷土資料室理事長、東京電機大学教授)、NPO頸城野郷土資料室のみなさまには、大変お世話になった。筆者は、今から10年程前に、石塚先生から初めて「裏日本」という言葉を教えていただいた。また、その直後、先生のお声がけで『「裏日本」文化ルネッサンス』(社会評論社2011年)を共著で出版させていただいたことが、筆者が「裏日本」にのめり込む大きな転機となった。
本連載のスタンスは、「平易にわかりやすく」であったが、所々で哲学的な思考も行っている。歴史学・民俗学的な話題を述べていても、やはり私のバックボーンは、那須政玄先生(早稲田大学名誉教授)の下で学ばせていただいた哲学なのだと、今改めて思っている。
 本連載が、日本文化の「アニマ」である「裏日本」へ、人々が少しでも目を向けるきっかけになれば幸いである。また、日本のルーツを知る上で、さらに今後の対岸諸国との関係を考えていく上で、欠かすことができない「裏日本」の重要性と面白さあるいは奥深さを知るための道標となれば幸いである。

                      (完)


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