【連載】

ザ・楽士

鈴木 康央

 

 

<毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)>

 

 

 

 

 

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第11回

ソロモン  

 

 本名はソロモン・カットナーなのだが、通称「ソロモン」として活躍していたピアニスト。イギリス、ロンドンの生まれ。(1902年~1988年)
 10歳でベートーヴェンの第3番協奏曲を弾いてデビューを飾り、神童として「ソロモン」の名は広く知れ渡った。その後研鑽を積んで、本格的に活動を再開したのは20歳台になってからのこと。しかし1956年、脳梗塞のために左手が不自由となり、演奏活動中止を余儀なくされた。
 こういう記述からしてソロモンもまた悲劇のピアニストという印象を受けるが、彼の写真を見ると、ずんぐり型で柔和な顔、困苦を相克して奮闘しているような容貌は微塵も感じ取れない。それはひょっとして彼が英国人であるからか。これは私の知る英国人、即ち著名人の業績や伝記、映像、また著作などによる知識、また実際旅行して肌で感じた印象などによる、つまりは先入観による感想にすぎないのだが、イギリス人というのは常に客観的に観て考える習癖があるのではないか。感情を隠すというのではなく、深く感じ入る前に遮断してしまうところがあるのではないか、そんな気がするのである。その点で同じ英国出身のピアニスト、クリフォード・カーゾンと似た印象がある。しかしこれはあくまで人間の性質面でのことであって、ソロモンとカーゾンはその演奏においては当然ながら違う。私が言いたいのは、外観からだけではなく、ソロモンのピアノを聴いていると現実から遊離して、純粋な音楽の箱庭の中で楽しんでいるような気になるのである。ソロモン自身、その人生観も客観的であり、音楽一筋に命を懸けるというような日常ではなく、音楽以外にも享楽を見つけ、そして教養豊富な生き方をしていたのではないかと想像する。
 さて、そういうソロモンのピアノはどんな音なのか。象徴的に言うとポコポコという音である。木の音である。華やかさはないと言っていい。つまり音量や音色で表現するのではなく、あくまで楽曲の精神性重視というスタイル。従ってフォルテシモ(強強音)など殆んどない。
 そういう演奏スタイルだからベートーヴェンのような精神音楽にはぴったりと符合する。私はベートーヴェンを例にとることが多いけれども、これは私がベートーヴェンの大ファンなのだから仕方ない。ついでながらあの吉田秀和氏もソロモンのベートーヴェンを絶賛している。私などの筆より名評論家の言葉を引用した方がわかりやすいだろう。「世界のピアニスト」(吉田秀和著 新潮文庫)よりソロモンの章から抜粋させて頂く。
「『月光』は非常にゆっくり始まる。これは歩みではなく流れである。その油をひいたような滑らかさの中に、内側からの感情の充実のあること、稀代の名演である。・・・この安定感と充実感!」と名演奏についての感想の後「今世紀(20世紀)は幾人かのベートーヴェンの名手をもったが、ソロモンはその中でも最高級、最上級にしか数えようのないピアニストである。本当に『ベートーヴェンらしいベートーヴェン』というものを求めている人はぜひ一度聴いてみられるが良い」これ以上の賛辞があろうか。
 蛇足ながら、吉田氏が「油をひいたような滑らかさ」と表現したのは、ソロモン独特のレガート奏法によるものと思う。そもそもピアノという楽器はレガートに不向きな構造なのだが、それをソロモンは「フィンガーペダル」とでも呼ぶべき指のテクニックで見事に音にしているのである。
 彼のモーツァルトやシューベルト、ブラームスの演奏についても書きたかったのだが紙面が尽きた。最後に私のお勧めのソロモンのベートーヴェンとして第26番「告別」と第27番のソナタを挙げておく。「ぜひ一度聴いて見られるが良い」


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