【連載】

日陰の名曲

鈴木 康央

 

 

<毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)>

 

 

 

 

 

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第5回

デュリュフレ:レクイエム  

 

 「レクイエム」といえば、まず思い浮かぶのはモーツァルト、それからブラームスの「ドイツレクイエム」やフォーレの作品などではないだろうか。今回紹介するデュリュフレの「レクイエム」は知る人ぞ知る、まさにこの「日陰の名曲」に相応しい楽曲と言えようか。
 そもそもデュリュフレという作曲家の名前すら初めて聞く人も多いかもしれない。モーリス・デュリュフレ(1902年~1986年)、北フランスのノルマンディー地方の生まれ。ちょうど20世紀を生きた人であるから、音楽史の上では現代音楽が台頭し、十二音技法が用いられたり、また様々な実験的音楽が試みられた時代を同じくする人である。
 しかし彼の代表作であるこの「レクイエム」(1947年完成)を聴かれればわかると思うが、そういう現代的な要素はまるでない。伝統的な手法によって作られた逸品である。その作品数も少ないが、たいていがオルガン曲など宗教的な作品である。
 この「レクイエム」は言うまでもなくカトリック教会のテキストを基に作曲されたものであるが、通常の配列とは異なり1.イントロイトゥス 2.キリエ 3.オッフェルトリウム 4.サンクトゥス 5.ピエ・イエス 6.アニュス・ディ 7.ルクス・エテルナ 8.リベラ・メ 9.イン・パラディスムとなっている。これを見て造詣が深い方はお気づきだと思うが、これはかの名作フォーレの「レクイエム」と殆んど同じ構成となっている。これは明らかにデュリュフレが母国の大先輩の60年ほど前の名作を意識して、敬意を込めて作ったにちがいない。独唱、合唱、管弦楽の編成までもほぼ踏襲しているのだから。いや、こんな解説など読むまでもなく、曲を耳にされたら即座にフォーレの「レクイエム」を彷彿されることだろう。
 ではこれを単に模倣作と見なすべきか。いや、決してそうではあるまい。デュリュフレという人は非常に信心深い人であった。それで音楽家として何とかその心を音で伝えたかったにちがいない。そしてその原型をフォーレの作品に見出したのであろう。この構成、編成こそが最も我が意を具現できる手段であると。その結果、楽想は同じでも奏でられる音楽はフォーレの「レクイエム」より一層敬虔な、ピュアな、深い森の清流のような感触を宿している。
 キリスト教徒でない日本人が、西洋クラシックの宗教音楽を理解できるのか、という問いがなされることがある。私の答えとしては、理解はできないであろうが音楽として楽しみ、そしてある感興を催すことはできると思う。例えばバッハの「マタイ受難曲」や「ミサ曲ロ短調」、それにベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」などの大作はしょっちゅう聴きたいと思うような楽曲ではないけれども、たまに聴くとやはり交響曲や室内楽曲とちがった感慨を覚えるのは確かだ。それにはテキストの言葉の意味がわかろうがわかるまいが関係ない。「荘厳ミサ曲」などベートーヴェンらしいその響きに只々圧倒されるのである。
 このデュリュフレの「レクイエム」を聴くと、私はキリスト教徒ではないのだけれども「神」(それは何の神でもいいし、神と呼ばなくてもいいし、“宇宙の摂理”としてもいい)の存在を感じ、とても敬虔な気持ちになるのである。終楽章イン・パラディスムを聴き終えると、そのまま昇天できるような気分にさえなってしまう。
 CDは作曲者自身が指揮したものも含め色々あるが、テレサ・ベルガンザ(メゾソプラノ)、ホセ・ファン・ダム(バリトン)とミシェル・コルボ指揮するコロンヌ管弦楽団、合唱団のものがイチオシ。


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