【連載】

ザ・楽士

鈴木 康央

 

 

<毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)>

 

 

 

 

 

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第15回

カール・シューリヒト  

 

 モーツァルトの音楽を聴く時は感情を言葉にして付加しない方がいい。「疾走する悲しみ」などと言語化しない方がいい。素直に音楽を聴き、その時喚起される感情をそのまま流せばよい。モーツァルトの音楽には様々な感情の種が含まれている。その一つを取り出して「悲しみ」などと表面化させると、残りの種が発芽しないまま取り残されてしまう。その意味においてカール・シューリヒトの演奏は最適。きびきびと、余計な思惑を促すことなく流れていく。
 カール・シューリヒト(1880年~1967年)、ドイツ領ダンツィヒ(現ポーランドのグダニスク)生まれの指揮者。遅咲きと言うか、70歳を超えてからの演奏が国際的な評価と賞賛を得るようになった。特にウィーンフィルとのライブの名演の数々が今もCDで聴ける。なかんずく1960年ザルツブルク音楽祭でのモーツァルトの「プラハ」交響曲、ブルックナーの第9交響曲は歴史的名演と評されている。
 ブルックナーの「第9」は、ウィーンフィルの豊潤な音色が曲全体の温度を上げ、豪華かつ堂々とした演奏になっている。聴いていてシューリヒトの指揮はウィーンフィルの自主性を重んじ、見守っているという印象。全く引っぱっていこうというような意図的なものは感じられない。それゆえ大河のような自然な流れが作り出されているのであろう。
 それにしてもブルックナーという作曲家もユニークな人で、おおらかと言うか優柔不断と言うか、他人の助言によってたやすく書き直したりするので、スコアも数種類の版がある。また楽曲そのものも緩急強弱が次々と入れ替わる。それでいて曲全体としてはアルプス山脈を彷彿させる大自然の迫力。そして聴き終わると不思議と神々しい敬虔な気持ちになるのである。ブルックナーも大器晩成の人で、交響曲の作曲家として認められたのは晩年近くのことで、若い頃は教会でオルガン奏者などをしていた。ずんぐりむっくりした風貌容姿、ビール好き、日常些細な事は等閑に付し、恬然とした人生観・・・飄逸な田舎者と言ってしまえばそれまでだが、芸術家として一つの理想像かもしれない。
 ところで私としては先述の通り、シューリヒトのモーツァルトがとても気に入っているのである。モーツァルトは考えるのではなく感じる音楽だと思う。「考える」のは脳の作業、「感じる」のは全身。モーツァルトはまちがいなく後者の音楽だと思う。何度も確認された実験で、植物に色々な音楽を聞かせて育てたところ、モーツァルトがより良く成長させたという報告がある。この真偽はともかく、モーツァルトの音楽の本質が語られているのではなかろうか。
 というわけでモーツァルトの演奏はそれに相応しいものでなければならない。即ち誇張など不要、端正であり淀むことなく流れること、しかも軽快に。健康な人の血流のイメージ。シューリヒトの演奏を聴いてもらえば、まさにその理想的なモーツァルト、その醍醐味を楽しめるということである。典型ではないけれども、一つの規範となる演奏だと思う。
 シューリヒトの演奏は他にもベートーヴェンやブラームス、マーラーなども高い評価を受けている。それらの中で、バックハウスをソリストとしたベートーヴェンの「皇帝」協奏曲が私のおすすめ。


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