【連載】

ザ・楽士

鈴木 康央

 

 

<毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)>

 

 

 

 

 

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第13回

エリック・ハイドシェック  

 

 エリック・ハイドシェック(1936年~ )、フランス、シャンパーニュ地方生まれのピアニスト。シャンパーニュの名から思い浮かべる通り、彼自身が有名なシャンパン醸造元の御曹司である。両親ともに音楽家であり、エリックがその道に進んだのも当然の成り行きと言えよう。ピアノの泰斗アルフレッド・コルトーに弟子入りし、1955年シャンゼリゼ劇場でのリサイタルの成功から名声を高めるようになる。
 日本では愛媛県宇和島市でのリサイタルが伝説として語り継がれている。宇和島という地方都市での開催に私は注目したい。演奏スタイル、そのアプローチにおいても全然異なるが、かのリヒテルも晩年は地方都市での演奏を積極的に行っていた。演奏者と聴衆との関係に対する考え方が、リヒテルとハイドシェックは共通していたのではないだろうか。それは察するに現代のような芸術商業主義に対する抵抗とまでは言わないが、大ホールでできる限りの聴衆を集め、その中には批評家たちの鋭い目(耳以上に)に晒されて弾くことに対する疑問、作曲家当時の音楽会の再現を目指したかったのであろうと思う。
 正直なところ、私はハイドシェックの演奏には殆んど接していなかった。むろん若い頃はFM放送に浸っていたから、当然彼の演奏も何度かは耳にしていたと思うのだが、特に印象に残っていなかった。例の宇和島でのリサイタルのベートーヴェンのCDも聴いてみたが、率直なところたいして感動しなかった。ユニークな演奏だけれども、心揺さぶるというものではなかった。
 それがもう10年以上も前になるが、地元の小さなホールで彼のリサイタルが催されたのである。これはチャンスと出かけた。曲目はベートーヴェンのソナタ25番、シューベルトの「楽興の時」、ショパン、リスト、ドビュッシーの小曲を幾つか。・・・実に楽しいリサイタルであった。くつろいだ自由な雰囲気のコンサートであった。二度ほどミスタッチがあって中断したけれども、ハイドシェック氏は「sorry」と言って何事もなかったかのように引き直した。聴衆もみんなそれを当然のように流せる雰囲気であった。アンコールも次から次へと続いた。
 それはあたかもシューベルティアーデ(シューベルトが仲間たちと楽しむ気さくな演奏会)を想像させるものであった。先程も触れたが、コンサートとは本来こういう楽しい場であったのではないだろうか。聴衆のみならず、演奏家たちも本心はこういう姿を望んでいるのではないか。
 さて、その演奏会でのハイドシェックのピアノは、どれも明るい音であった。時にはガンガン響く。アプローチは実にユニーク。シンコペーションを多用し、早めのテンポとアクセントが非常に特異。そういう点からドビュッシーが合っていて、素晴らしい演奏だった。
 今改めて彼のCDを聴いてみた。ラヴェルやドビュッシーは「ユニークな」という形容詞を付けて面白いし、モーツァルトの協奏曲が良かった。これもユニークながら軽やかなモーツァルトが楽しめる。一聴の価値がある。彼のベートーヴェンに関しては、私の標準とするアプローチとは違う。しかしソナタ全集の中には、特異ながらもぜひ聴いてもらいたいのも何曲かある。
 ハイドシェックは今年88歳になる。もう引退してシャンパンでも嗜んでいることと思うので、本当にお勧めしたかった生演奏に接する機会は残念ながらもうないであろう。
 今回はハイドシェックを通して演奏会の在り方について考えてみた。


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