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『ロゴスドン 第12号』の発行は、1996年(平成8年)1月1日でした。新春の発行ということもあり、日常生活と離れた宇宙について考える特集にしようと思いました。
いつものように図書館を数館はしごし、科学史の研究者について調べることから始めました。すると、『宇宙の果てに何があるか−ものの見方・考え方をかえるために』『宇宙の科学史』という本を書かれた学者が浮上してきました。トーマス・クーンの『科学革命の構造』を翻訳し、クーンの「パラダイム論」を日本に紹介したことで知られた学者で、それが第12号でインタビューさせていただいた中山茂先生だったのです。
当時はまだ「科学史家」という呼称が一般的ではなかったため、「科学社会学者」として紹介いたしました。日本を代表する科学史家であり、現在では国際科学史アカデミーの副会長を務めておられます。
インタビューは、先生が当時ご勤務されていた神奈川大学の研究室でさせていただきました。研究室に入ると、すぐにお酒の臭いがしてきました。中山先生の顔を見ると、ややほろ酔い加減であることが分かりました。テーブルの上には紙パック入りの日本酒が置かれていました。通り一遍の挨拶が終わると、
「まあ、一杯やってください」
と、中山先生は私に日本酒を勧めてくださいました。私は真正の下戸で、私の父親がまったくアルコールが駄目だったので遺伝だと思います。下戸なんてかっこ悪いと思い、大学時代には何度も訓練(実験)をしましたが、いずれも悲惨な目にあいました。胃の中に吐くものがなくなると、胃液のようなものを吐きだし、終いには血を吐くようになって、救急車で病院に運ばれたこともあります。
しかし酒の場は嫌いではなく、自分のアルコールの限界(ビールなら中ジョッキ1杯)を超えないように飲めば顔が真赤になるだけでことは済みます。それ以上飲めば、顔が青白くなり、せっかく食べたものを全て吐き出すことになるということは長年の経験で分かっています。
そんなことを説明するのも億劫でしたので、
「ありがとうございます。しかし、私は酒がまったく飲めないものですから・・・」
とお断りすると、中山先生は残念そうにされていました。
とはいっても、普段のインタビューとは違って、まったく緊張感のない場がそこにはありました。今思えば、そういった場の空気が歓談を生み、この貴重なインタビュー記事になったのだと考えています。
まずは、現実的なことに忙しい大人になってからも宇宙のことを考える意味について聞いてみました。
「古い時代というか、歴史が存在しない時代には、宇宙のことはあまり考えなかったんですよ。もう、生存競争に精一杯でしたからね。なぜ宇宙を考えるようになったかというと、自分がどこにいるかという、一種の方向感覚のようなものじゃないでしょうか。つまり、地図の上で自分がどこにいるかっていうのを知らないと、どうも落ち着かないと。それが三次元の中で、四次元の中でというようにね。四次元になると宇宙進化論のようなね。歴史の上で見てくると、まず二次元の地図との感覚というものを求めて、その次は四次元に飛ぶんです。三次元を飛び越えて、四次元に行くというのは、生物発生のメタファーで、どこから出てきてどこへ行くのかっていうね。
現代の宇宙論というのは、星雲や銀河系の話であったり、人間とは無関係な世界に思えますね。しかし、かつては人間が宇宙をごく身近かなものとして、生き生きとイメージしていた時代があったんです。少なくとも一八世紀までは、専門家に限らず、一般の人も参加してつくりあげた様々な宇宙論が存在し、人間はそれぞれ自分なりの宇宙論を持って生きていたんです。
古代ギリシャに自然科学的な宇宙論が始まったのですが、プラトンの宇宙論にしろアリストテレスの宇宙論にしろ、コペルニクスの地動説にしろ、単なる学説にとどまらず、様々な人間ドラマを生みました。すなわち、一八世紀までは、人間も壮大な宇宙ドラマの登場人物だったわけです。宇宙が身近な存在であれば、人間の日常的なものの見方や考え方、あるいは社会のあり方がそのまま宇宙像に投影されるんです。そして、その宇宙論が人間のものの見方や考え方に反映することにもなるんです。そのような意味において、かつては宇宙を考えることが、すなわち人間を考えることでもあったんですね。
歴史を見てみると、天文学や宇宙論は、かなり生臭い人間の活動だったんですね。例えば、古代には人生や社会と関係のない天は存在しなかったし、そこから占星術が始まりもした。中世ヨーロッパでは、占星術が王侯貴族から庶民に至るまで、全ての人間の人生を支配しました。中国や日本でも、長い間人間は天の怒りを信じ、天文占いが支配者の統治の方法でもありました。江戸時代には、日食が起こると子供に編笠をかぶせる風習が各地にあったし、そのような例からも、天すなわち宇宙が人間に身近な存在であったことが伺えますね。
また、人類が月面を歩くことができるようになったのも、火星や木星に惑星探索機を送り込むことができたのも、結局は米ソの軍拡競争の副産物に他ならないわけだし、天文学や宇宙論の背景には人間臭いものがつきまとっているのです。宇宙論を材料にして、人間のものの見方、考え方を問い、ミクロコスモスとしての人間と、マクロコスモスの宇宙の間の交流、交歓と、その間に介在する様々な素材、テーマについて問いかけてみることに意義があると思いますね。」
人間と宇宙の間に介在するテーマ、と言われてもピンときませんでしたので、例えばどんなテーマが適当なのかを伺ってみました。
「例えば、時間について考えてみてはどうでしょうか。人はどんなときにでも、時の流れを意識するものですよね。人は生まれ、育ち、活動し、やがて死んでいきます。自らがどこから生まれ、そして死後どこへ行くのかという問いは、古代人にも現代人にも共通する問いです。その時間感覚が宇宙に投影されるとき、人と同じように宇宙も、生まれ、育ち、活動し、やがて死んでいくものと感じられるのか。それとも生死のサイクルを繰り返して、永遠に続くものなのかといったね。〜」
それに引き続き、宇宙形態論・宇宙構造論と宇宙進化論・宇宙生成論にまつわるお話をいただき、中国の循環思想等についても言及されました。
そしてビッグ・バンの話題に移行し、膨張宇宙論と定常宇宙論のお話をいただきました。
それまでは時の流れを中心にお話をいただきましたが、ものごとを明確にとらえるためには形が欠かせないと思いましたので、「形」をテーマにして考えてみることを提案してみました。すると、次のような興味深いお話をしてくださいました。
「西洋、特にギリシャ的な考え方の中に、形がなければものはないというのがあるようです。ギリシャの彫刻はすべて、整った形をしているし、幾何学を発展させたのもギリシャ人でしたからね。この伝統の上に、地球説が、そして細かく描かれた幾何学的宇宙像が組み立てられたんです。
東洋においては、どうも形ってものを軽蔑していたんじゃないかと思えるんです。形はうわべだけのことで、表面的な浅はかなことであり、中身である魂のぬけたなきがらにすぎないと。「有形無実」というのはほめ言葉ではないのです。中国の絵画では、一隅構成といって一方にものをおき、他方にひらけた空間をおき、そこに余韻を漂わせています。日本においても、文人画や明治時代の俳画なんてのを見ると、形よりもその表情から感じられるものに重点がおかれていた。形は軽視されていたわけですね。だから幾何学が発達しなかったんでしょうけどね。
一方、西洋やキリスト教諸国なんかだと、形が決まってて、ガチャガチャ形を入れていって、プレナムな世界、充実した世界ですよね。近世の西洋の絵を見ると、いろんなものがビッシリ詰まっていて、空間なんてないでしょ。神の世界がすべて描かれているわけですね。それはどういうことかというと、一つの宇宙観が根底にあると思いますね。西洋の宇宙というのは、わりと小さい世界で、その中にいろんなものが詰まっている。仏教の世界なんかでは無限を認めてるんですが、西洋の世界では無限ってところはどうも気持ち悪くて、不安定で、認めないわけです。無限は認めないし、真空は認めない。アリストテレスの説が日本に入ってきたときに、日本の坊主たちはアリストテレス宇宙の果ての、その先に何かあるはずだというんですね。東洋では、そうした形の決まった、かっちりした宇宙というのは、かえって考えにくかったんです。地を球でかぎったり、ギッシリ詰まった宇宙像をつくることは趣味に合わなかったんですね。」
そのお話に引き続き、中国の天円地方的な宇宙観にまつわるお話をいただき、そして次に「中心」をテーマにしたお話をいただきました。このインタビューは1995年の11月にさせていただきましたので今から14年以上も前のことになりますが、中山先生は「中心」をテーマにしたお話の中で、インターネットによって世界の中心がなくなっている現状を見事に予言されています。
この特集インタビューの全文は、『学問の英知に学ぶ 第一巻』(ロゴスドン編集部編/ヌース出版発行)に収載してありますので、ぜひ、全文を通してお読みいただいて、日本が世界に誇る科学史家・中山茂先生の先見性を確認していただければと思います。
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