【特集】

生きた哲学を楽しむ私の方法

『ロゴスドン 第78号』特集・続編

宮本 明浩(ロゴスドン編集長)

 

〈毎月最終月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

ロゴスドン第78号

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『ロゴスドン 第78号』特集・続編その13

光通信や半導体等における数々の独創的な発明で20世紀を先導し、教育者としても尽力された世界屈指の科学者・西澤潤一先生にインタビュー!

 

 『ロゴスドン 第17号』の発行は、1996年(平成8年)11月1日でした。この号の特集を医学にした理由は、『ロゴスドン 第78号』(休刊記念号)の特集で少し触れました私の父親のような存在だった「正兼のオイサン」(以後、オイサン)が大きく関わっています。
 私の父は、私が中学1年生の時に腎臓の病気で亡くなりました。今では人工透析をすれば亡くなることはないそうですが、当時の医学のレベルでは無理だったようです。オイサンは私の父の親友でした。子供がいなかったオイサンは、私と弟を実の子供のように可愛がってくれました。オイサンはよく本を読む人で、「哲学」という言葉を多用する人でもありました。その影響で、私の心の片隅に哲学という言葉が潜んだのでしょう。
 そのオイサンは、私が難関の高校に合格した数日後、「お前は将来、医者になれ!」と言ったのです。そして、「俺は絶対に医者になってみせる」と、大きく筆書きした垂れ幕を私の部屋に貼ったのです。
 「これを毎日、朝起きた時と寝る前の2度、声を出して3回づつ読め!」
 とオイサンは私に命じました。
 私はオイサンを尊敬していましたし、素直というかバカ正直な高校生でしたので、その言い付けを2年近く守り続けました。そして、高2の終わりまでは本当に自分は将来、医者になるものと信じ込んでいました。
 それを守らなくなったのは、ある事件がきっかけでした。高2の終わり頃だったと思いますが、当時は国立大学を受験する者にとっての主要3科目とされていた英数国の模試が実施されました。かなりの難解で平均点は相当低かったようですが、私は合計で99点しか取れませんでした。にも関わらず、その直後に実施された進学志望調査で「某国立大学の医学部」と表明したのです。そのことが職員室で話題になったようで、ある数学の先生が、「あの模試の合計が100点もなかった者が国立大学の医学部を志望している」と他の教室で話したそうです。もちろん、その先生は私の名前を言っていないのですが、生徒たちの何人かは私のことだと分かったようです。
 というのは高校時代、複数の友人が何度か私の部屋に遊びに来ていましたが、部屋の垂れ幕を初めて見た友人のほとんどは大笑いをしていました。今思えば、その大笑いは当然だと思います。私の当時の学校の成績は国立の医学部を志望できるレベルとはかけ離れていたからです。そのギャップが笑いを生んだようですが、それだけに生徒たちの話題にあがり何人かに知られたのでしょう。
 その数学の先生は、「お前らは、そんなバカなことを望むのはやめろ」と戒める意味で言ったのでしょうが、友人からそのことを聞き知った私の心はズタズタになりました。そして、その数学の先生をしばらく恨みました。私はその数学の先生の授業も受けていましたが、高2あたりからだんだん分からなくなってきた数学が、その事件後はさらに分からなくなっていきました。そして、オイサンの言いつけも守らなくなっていったのです。
 オイサンは平成5年に癌で亡くなったので、第17号の内容を考えた頃はオイサンの3回忌が過ぎた頃でした。この号の特集を医学にしようと思いついたのは、そのオイサンを偲ぶ意味もあったような気もします。


 中川米造先生の本は以前に読んだことがありましたし、医学を特集にする場合は中川先生が最適だと思っていました。当時の中川先生は相当忙しい方でしたが、オイサンの霊のサポートがあったのか、私のインタビュー依頼にご承諾をくださいました。
 当時、中川先生はすでに大阪大学を退職し大阪大学名誉教授になっておられ、京都の佛教大学に研究室を持っておられましたので、そこでインタビューをさせて頂きました。


 まず最初に、「医」の起源からお話を頂きました。


「漢字の「医」というのは、「矢」がハコガマの中に入っているわけでしょ。矢というのは何かというと、いわゆる悪魔ですね。これは病気の象徴です。病気というのを矢に例えてみたり、京都に釘抜き地蔵というのがあるんだけど、釘が刺さるというシンボルなんですね。そいつを箱の中に閉じ込めてしまおうと。だからこれ自体、マジカルな意味を持っているわけです。
 昔は「医」のよこっちょに、ルマタを書いた。ルマタというのは、いわゆる大きな包丁ですね。もうひとつ下のほうに、「酒」のサンズイを抜いたのがあって、これはやはりお酒ですね。酒を使って治療をする。これで全体を「醫(い)」と読んだ。
 「医」というのは、呪文なんですよ。医療ってものは、本質的にそういうマジカルなものがあって、それは「感情」が基本になってるわけ。マジックとか迷信というのは、感情の論理なんですよ。医というのは、そもそも感情というのが基礎にある。エモーショナルな論理が基礎にあるわけ。ですから、この「医」という字を読むときには、『イー』と、すごい裂帛(れっぱく)の気合いで読まなければならないんです。
 どこの世界でも、人間が病気になるってことは、自分で自分をコントロールできなくなって、誰かの助けがいる。その時に、体の仕掛けとか機能とか、そういうものを変える人というのは、魔法使いなんですよ。だから、医は魔法使いが起源なんです。そこから宗教が出てくる。もうひとつは医療が出てくる。
 今でも医療の中には、マジカルな、感情的な論理というものはあって、それが論理を構築していく大きな原動力になっているわけ。だから、医療そのものの考え方が、超自然のものという考え方が出てくるわけですね。
 このごろ、O−157で大騒ぎしていますが、ばい菌というのは外から入ってくる。これは、矢と同じことなんですよ。それに対して、排除しなきゃならんということで、みんな清潔恐怖症になってるでしょ。抗菌グッズなんてものが、めちゃくちゃ売れているというしね。
 外から来るばい菌、外敵に対応しようと思えば、とにかくアイツをやっつけろということになる。入って来ないように、防衛しよう、ばい菌を殺してしまおうと。ところが、殺して、殺していったら、ばい菌も生き物だから、なにくそっといって、反対に向かってくる。だから、そういう抗生物質とばい菌の抵抗力ができるシーソーゲームになるんです。
 それで今、新しい薬は開発できにくくなってきたわけ。それが、MRSAといって、どんな抗生物質でも負けないばい菌が出てきた理由です。病院のばい菌はしょっちゅうやられてるから、それだけ強いのが出てきます。病院のお医者さんの鼻くそなんかに、そんなばい菌がいっぱい入っている。病院の空気の中に、そんな菌が飛んでいる。病気になったからって病院へ行ったら、移る可能性もある。そんなとらえ方がひとつにあるのです。
 つまり、ばい菌を排除し、ばい菌を来ないようにするということをやっているうちに、今度は逆に人間の体が弱くなってくるということがある。抵抗力がなくなったり、免疫力がなくなってくる。そういう感情的な考え方の象徴が、科学的な形を取ったときに、細菌学ってことになるのですが、細菌学を元にして病気を治すためには、ばい菌を殺す抗生物質も開発しなければならない。そういうイメージは医のもともとの魔術的把握から来ているわけですよ。」


 そんなお話を聞いていると歴代の哲学者は医をどう考えたかを知りたくなりましたし、中川先生の著作から哲学に深い関心をお持ちであることが分かっていましたので、「医と哲学との関係」について伺ってみました。すると、中川先生は次のようなご返答をされました。


「哲学ってのは大変大事なものだけど、哲学の危険性ってのは、論理化には有効なものだけど、論理化して固まってしまったら、そこから逃げることが出来なくなることです。非常に固い構造になってしまう。それこそが真実である、真理であると思ってしまうから。それなりの危険がある。
 森羅万象、道徳も含めて、ひとつのシステムで考えていくというのが哲学体系というもんでしょうけど、そういうスタイルの哲学はカントでおしまいでした。カント以降は思想家になったと思う。全てのものをひとつの体系で説明するってことはしなくなったというか、出来なくなったというのかね。あまり知識が増えすぎてしまって、ひとつの体系にするってことの危険性が出てきた。つまりそれは、唯我独尊であって、他のものは全て否定されてしまう。つまりいわゆる一元論にしていく。ひとつのシステムにしていくわけでしょ。それは、19世紀まではなんとかなっていたけど。
 科学ってことでいえば、科学的な方法が本当に社会の中核的な原理になるのは19世紀です。確かにいろんな発明、発見を生んだわけだけども、これらの背景ってのは、一元論です。さらに一元論の背景は、キリスト教なんです。キリスト教は神様がひとつでしょ。神様が創ったから、宇宙はひとつの原理で動いている。それを今度は人間が調べて、その法則を手に入れたら、自分が自然を支配することが出来る、神様に変わることが出来る。だから、19世紀にニーチェが「神は死んだ」と言ったのは、そういう意味でもある。キリスト教が、科学という名に変わった。
 しかし、キリスト教がそうであるように、基本的には排除の思想です。科学的でないものは否定してしまう。そんなものは無視する。非科学的というのは、真理でないという。そういう捉え方が第二次大戦の頃までずっと続いている。
 ところが、科学技術のもたらす弊害がいろいろ出てきた。それで、また別の考え方もいる。科学がいらないというわけじゃないけど、いろんな考え方があってしかるべきだと。一元論でなく、多元論であるべきだと。異なっていること、違っていることを受け入れなければならんと。
 文化人類学なんかが出てきたら、いろんな考え方がありますよ、いろんな習慣がありますということになる。それも同じ人間です。人間同士理解し合うためには、相手が違うということを、まず理解することが大事です。違いがはっきりしたところで、共通点もわかってくるんだと。そういう考え方に変わってきている。」


 そんなご返答をされたので、具体的な過去の哲学者の名を挙げ、どういう考え方をしたのか質問してみました。すると、プラトン、アリストテレス、ベーコンについて興味深いお話をされた後、次のようなご回答をされました。


「哲学の意味は、批判にある。ある原理をそのまま受け入れて、哲学屋さんになるのではない。哲学を売って回る人はそれで、プラトンはこうですよ、アリストテレスはこうですよでいいけど、医学なら医学を考える場合に、誰から哲学を引っ張ってこようという一元論的な考え方というのは、私はしたくない。むしろ、いろんな考え方があって、それぞれに限界はあるだろうし、長所もあるだろうし短所もあるだろうし、そのようにとらえるべきだと思っているんです。
 過去の哲学者はみんなそうだけど、病気だとか健康だとか治療というものを比喩に使うんですね。それがあちこちに引用されて、誤解されてきた面もある。それは前後関係を読めば分かるのに、その文章だけが独り歩きしてしまうってことはあると思いますけど。
 私の場合は、私のお師匠さんが哲学者だったから、自分でも哲学をやってみたけど、結局よく分からなくなって、ほどほどにケリをつけようと(笑)。まあ、現実の医療を見る中で、哲学を参照してみたり、人類学を見てみたり、社会学を見てみたり、いろんなものを覗いてみたりしていると、それなりに新しい発見があって、私の考え方の役には立っていると思いますけど。」


 そんなご回答の後は、「日本の医学教育は、人間としての成熟を無視した中で行われている」「インフォームド・コンセントも、日本においてはエゴイズムになりやすい」「温泉療法も先端医療である西洋医学の真相」「医学は科学ではなく、ひとつの文化である」という小見出しを付けた非常に深淵で深刻なお話が続きます。
 この特集インタビューの全文は、『学問の英知に学ぶ 第一巻』(ロゴスドン編集部編/ヌース出版発行)の「十章 癒しへの医学哲学」に収載してありますので、ぜひ、全文を通してお読みいただいて、患者の立場を尊重した良質な医療、人間的な医療について考えていただければと思います。


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