【連載】

「裏日本」文化論


 

唐澤太輔

(秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科准教授)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

『生命倫理再考―南方熊楠と共に―』

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第59回

〈「裏日本」の海〉


 古来、日本人にとって「裏日本」に面した海、すなわち日本海は、外界を隔つとともにつなぐ海でもあった。つまりそこは、対岸諸国との重要な交通路であった。私たちの祖先が、対岸諸国からこの海路を通じて「裏日本」に多くやってきたことは、疑いない事実である。私たち日本人のルーツは、この海路にこそあるとも言える。
 ルーツ――日本人の心の根っこには、日本海があるのだ。そして、我々が自身のルーツを深く見つめるとき、そこには、往々にして底知れぬ哀愁が伴う。
 例えば「演歌」。不思議なことに、演歌で歌われる海の多くは日本海である。試しにインターネットで「演歌」「日本海」などと検索してみると良い。その数のなんと多いことか。演歌は、しばしば「日本人の心」などと言われる。どんなに西欧のポップスやロックが流行っても、演歌が無くなることはないだろう。その歌詞や曲調に哀愁を感じるのは、我々日本人が、知らず知らずに自身のルーツを見つめているからではないだろうか。
 演歌は、もともと演説歌、つまり明治時代に政府批判の演説を歌ったものであった。政府を批判する演説への取り締まりが強化される中、苦肉の策として考え出されたのが演歌であった。つまり、自由民権運動の一環として生まれたのがこの演歌だと言われている。しかし、その後、次第に反政府的な内容は影を潜め、情愛や悲恋、あるいは荒れる海や酒(ちなみに「裏日本」には有名な酒処も多い)をテーマにしたものへと変化していった。この変化のプロセスは、十分に考察する余地はあるが、兎にも角にも「日本人の心」と言われ、もはや一つの伝統ともなりつつある演歌に、我々日本人の多くは哀愁を感じる。
 ところで、哲学者の和辻哲郎(1889〜1960年)は、『風土―人間学的考察―』(岩波書店1935年)で、日本人の特性は「しめやかな激情」と「戦闘的恬淡」であると述べている。筆者は、これらが、そのまま現代の日本人にと当てはまるとは思わないが、不思議なことに、演歌では、まさにこれらがテーマとして好まれている。そこでは、物静かながらときに激しく燃え上がる男女の恋愛(しめやかな激情)や、荒々しくもパッと散るような海の男の在り方(戦闘的恬淡)が歌われ、それらが私たち日本人の心を鷲掴みにするのだ。
 これら「しめやかな激情」と「戦闘的恬淡」は、「裏日本」の海つまり日本海にも合致する。春から夏にかけて穏やかなその海は、冬には大きく荒れ岩場に白い波が打ち付ける。その海に、日本人が哀愁を感じるのは何故か――。それは、我々がその海に、そしてその先に、自身の故郷や出自つまりルーツを感得しているからではないだろうか。
 人生において、自身の個人的なルーツを見つめるのは、成熟した大人になってからが多い。自身の出自や昔日の事柄を思い返すとき、胸の締め付けられる、あの何とも切なく懐かしい想いは一体何であろうか(また、日本海を歌う演歌には、それを個人から集団へと拡張する機能があるように思う)。
 若者が自身のルーツをあるいは自身の心の内を深く覗き込むことはなかなか難しいことである。精神分析学においては、そのような若者による内観は、下手をしたらその深みに飲み込まれてしまう危険なことでもあると言われている。

  一般には、男性としての強さや判断力などがまず期待されるので、このような外的な期待にそえるペルソナを作り上げることが大切であり、このようなペルソナを人生の前半において築いた後に、アニマの問題との対決は人生の後半(35~40歳以後)になされるのが普通であるとユングは言っている。(河合隼雄『ユング心理学入門』培風館1967年p.209)

 我々は、ここ数百年で「表日本」文化というペルソナを、ある意味において確固たるものとした。そして、高度経済成長やバブルなどを経た日本が成熟期に入ろうとしている今、我々は、「裏日本」というアニマに向き合わなければならない。ペルソナである「表日本」を作り上げた今、我々は「裏日本」という内面に目を向けなければならないのだ。その作業は、演歌に歌い上げられる日本海のように、哀愁を引き起こすものであるが、同時に、今まで無視し続けてしまったがゆえの、様々な「対決」も待ち構えている。


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