【連載】

生命倫理再考

唐澤 太輔
(早稲田大学大学院社会科学研究科・日本学術振興会特別研究員)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

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第7回

〈熊楠による「筆写」と「写生」(2)〉


 医者は、「カルテ(karte)」に患者の様態・処置方法・経過などを記録する。時に、患部を「スケッチ(sketch)」する。勿論、1人の患者の診察に何時間もかけるわけにはいかない。しかし、そのような「カルテ」からだけでは、患者の表層しか捉えることはできていない。医者は勿論、特に我々患者側がそのことを認識せねばならない。医者は専門家ではあるとはいえ、決してその見方は絶対的ではない。「カルテ」が重要なことは間違いないが、それが患者に深く「内在化(indwelling)」し、観察(診察)した記録ではないことは確かである。特に、患部のみを重点的に見る方法は、まさに西洋医学の特徴と言えるであろう。
 一方、東洋医学においては、患部はもとより、その人全体のいわば「雰囲気」を捉えようとする。例えば「気の流れ」などである。もし、このようなアプローチ方法を「あり得ない」と全面否定するのであれば、それは完全に西洋医学的な見方、もっと言えば近代合理主義に毒されている証拠と言えるであろう。勿論、東洋医学にも欠点はある。病気や怪我に対する即効性がないことや、効能があってもその「根拠」を説明することが難しいことなどである。
 今後、東洋医学と西洋医学の両者の長所が交わる点(熊楠の言葉を借りるならば「事」、あるいは「事の学」〔これらについては、近いうちに詳述したい〕)を見出すことこそ重要であることは、もはや自明であろう。
 熊楠の、いわば「生物カルテ」には、用紙いっぱいに彩画と文字が書(描)かれている。そこには、熊楠本人しか理解できないのではないかというほどの細かい字が、さまざまな外国語を用いて記されている。それは、あまりにも詳細かつ精微な「カルテ」であった。熱のこもったその「カルテ」は、時に「詩的」になることさえあった。
 熊楠は数多くの粘菌標本を、当時イギリスの粘菌学の権威であったリスター父娘(Arthur Lister 1830~1908年、Gulielma Lister 1960~1949年)へ送っている。熊楠が粘菌に対し、どれほど熱中して取り組んでいたかは、その標本に添えられた記載文を読むだけでリスターへ伝わるほどだった。

 標本を記載する文にも、筆者【熊楠】の詩的情熱がこめられていて、それ自体が魅力に富んだものとなっている。南方氏がいだく畏敬と称賛の念は、しばしば研究対象の微小物のもつ美によって引き起こされたものである。
  (グリエルマ・リスター著、高橋健次訳「英国菌学会会報」第5巻 1915年〔飯倉照平、長谷川興蔵編 『南方熊楠百話』 八坂書房 1991年所収 p294〕)(【 】内―唐澤)

 「詩的情熱」とはどのようなものか――それは感情的、刺激的、主観的な心酔と言えるかもしれない。それは対象を冷静に分析して捉える態度ではない。「詩的情熱」、そこには熊楠が粘菌の不思議な魅力に完全に心を奪われ、その生命体と一体になっている姿が見てとれるであろう。
 熊楠は採集し、触れ、匂い、食し、そして描き、生命体に「内在化(indwelling)」した。熊楠は、生命体をより深く、その内部から理解しようとしたのだ。熊楠は五感をフルに使い、特に身体からあふれ出す「詩的情熱」を持って描き(「スケッチ(sketch)」というよりむしろ「トレース(trace)」)、記録することで生命体に「内在化(indwelling)」していた、と考えられる(第6回〈熊楠による「筆写」と「写生」(1)〉参照)。なぜ、熊楠はこれほどまでに、一心不乱に生物を「写生(研究)」したのであろうか。次回以降、この謎(背景)を数回に分けて考察していきたい。
 熊楠は「側頭葉癲癇(そくとうようてんかん)」であったと言われている。例えば、その特徴として、関心のある対象に対する過度の「粘着性」が挙げられる。しかし筆者は、熊楠の執拗なまでの「筆写」「写生」の原因を、彼の脳の器質的問題だけに還元するつもりはない。そうすることは、熊楠を「特別者」「異常者」として別格視、もっと言えば「隔離」することになるのである。そうではなく、筆者は、これまでしばしば「奇人」「変人」と呼ばれてきた熊楠という人間そのものを、もっと我々の側に引きつけて考えたいのである。


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