
〈偶数月第3月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉
M 先生との対談もそろそろ終結ということで、最後にお聞きしたいのですが、犯罪者の精神鑑定、あれはどれほど信頼性があるものでしょうか。
K 正直難しい質問です。というのは実施するテストの種類、テストする人、それを判定する人によって多少とも違いが生じるのはやむをえないからです。特に潜在意識を探る投影法のテストでは、どうしても主観が入ると思います。けれどもみんな真摯に、できる限り客観的に取り組んでいると信じてください。鑑定というのはあくまでもひとつの参考資料にすぎません。それをどう見るかは裁判が行うことです。
M はっきり申しまして、私は精神鑑定など必要ないと思ってます。罪を犯したと確定した人間は、それがどんな状態であれ相応の罰を受けるべきです。他人を殺害しておいて、その時の精神状態がおかしかったからなどという理由で自分だけのうのうと助かろうなんて虫が良すぎる。
K しかし例えば乖離性人格障害、いわゆる多重人格という人などは本当にかわいそうですよ。多重人格というと、世間一般には一人の人間の中に何人かの人間が同居している病気というように思われているようですが、実際は一つの感情、例えば怒りの感情だとすれば、それだけで一人の人間が出来上がっているわけなんです。つまりある特定の感情が独立してある時間その人を支配してしまう。その間ずっと“怒りの人間”であって、他の感情は抑圧されてしまっている。ですからその“怒りの人間”が他人をあやめたとしても、それを一個人の犯罪とみなしていいものか?
M その怒りの感情もその人間に属する一部である以上、やはり責任があると思います。そもそもそうやって精神と肉体を分けて考える、遡ればデカルトに始まる近代西洋思想の悪弊ですよ。私は自分の子供が怠けたり悪戯した時には必ず体罰を下しました。学校にもそうしてくれるように頼んでおきました。
K 少し話が逸れるかもしれませんが、私も心の問題に何々病とか何々障害というレッテルを貼ることには賛成しません。それは医学的な立場でのことで、医学的治療のためには病名がはっきりしないとそれに応じた投薬などの処置ができませんからね。裁判における精神鑑定も、結局はそういうレッテルがあった方がわかりやすいから。そこで「何々の疑いがあるとか、何々傾向が強い」といった報告になってしまうわけです。でも私たち心理の立場からは、一応そういう病名は頭の片隅に置いておきますが、カウンセリングの場面ではほぼ白紙の状態で一対一の人間同士として話を聞きます。傾聴します。ですから私など学生によく言ってるんです。「学術書も大事だけれども、もっとたくさん小説を読みなさい。幾多の人間の心の機微が描かれているんだから」と。もちろん三島さんの作品もいくつか挙げてますよ。(笑)「音楽」なんかは、書かれるときに心理学の勉強もされたんですか。
M はい、そりゃもうたくさん読みましたよ。でもあまり学問的にこだわると書けなくなっちゃう。小説はウソの世界ですから。
K しかしウソの中にこそ真実があるわけで・・・。
M なんだか心理学もそのように思えてきました。科学的な学問の範疇には入らないような・・・。しかしそれゆえ頗る人間的な学問とも言えるでしょう。
K 心理の世界は特殊、例外がいっぱいです。でも科学は例外を扱うのが苦手でして・・・。
M どうも色々と勉強になりました。有難うございました。
K こちらこそ。楽しかったです。
(つづく)
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