
〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉
この頃、スポーツの国際試合で「がんばれ、日本」という応援の言葉がよく聞かれます。「がんばれ」というサポーターの励ましの言葉がサッカー選手の大きな支えになったそうです。また、マラソン走者が沿道の「がんばれ」という応援の言葉のおかげで、ゴールまで走ることができたとよくいわれます。
「がんばれ」という言葉のコミュニケーションは多くの効果を持っております。「がんばれ」といわれてがんばる人も少なくありません。人生において「がんばれば、夢がかなう」。たしかに、そういうこともあると思います。
けれども、がんばってもうまくいかないこともあります。子供の頃の夢の実現は想像以上に困難であり、がんばれば可能というわけにはいきません。むしろ、がんばって「成功物語」を語れる人はそれほど多くありません。
現在は、どちらかといえば、がんばってもがんばってもあまり報われない社会のようです。がんばることが無駄なことも多いのも事実です。また、少なくない人が、がんばりがマイナスの結果しかもたらさない「不幸の星」のもとに生まれてきてもいるようです。
そして、もうこれ以上がんばれないから、「がんばれ」といわないでほしいということも聞かれます。「がんばれ」の言葉が重荷になり、過剰適応や適応障害を引き起こすおそれもあります。実際、「がんばれ」の言葉からストレスを感じ、うつになってしまうものも増えているようです。
ですから、最近では「がんばらない生き方」がいわれてきてもおります。そういう生き方も一つのあり方であると思います。現代社会において、それもまた必要なことであるのかもしれません。
けれどもまた、「どうせだめだから」と、がんばることをやめてしまうことは避けるべきでしょう。それは生きる意欲を縮小化させ、「心の下流化」を引き起こします。状況をいっそう悪化してしまうことにもなりかねません。
ですから、やはり、「がんばってほしい」とあえていいたいのです。問題は、むしろ、そのがんばり方にあると思います。がんばりについて、これまでの見方を変えるべきであり、発想の転換が必要です。
がんばることにおいて、すべての人が同じ目標を持つのではなく、それぞれが独自の目標を持つ。目標の個性化、多様化が必要となります。
また、がんばってもうまくいかないときがありますし、逆に、がんばらなくてもうまくいくときもあります。偶然や運・不運が大きく左右することもあるわけです。このこともまた認識すべきでしょう。
そこで、いつもがんばっているのではなく、時々がんばる。できること、できないことを「仕分け」して、長期ではなく、中期の目標を立て、その時点において持てる能力を発揮するようにする。
そして、がんばった結果よりも、がんばる過程を重視して、がんばっていること自体に充実感を感じるようにすることが肝要と思われます。
このように「がんばれ」という言葉をより広い視野において位置づけ、意味づけ、それを相対化することが必要となりましょう。
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