
〈偶数月第3月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉
はじめに
グルメを自認する人がいるが、私ははなから信用していない。味をどう感じるかは人によって異なり、美術鑑賞と同じように感じ方は同じではないからである。分子生物学者として興味があるのは、遺伝的に感じ方が異なることがわかったきたので、グルメ批評家の意見は無意味だとはっきりわかったためである。
基本味は5つではない
かつてこの欄で、基本味は甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の5つに分類されると述べたが、科学の進展はすでに7つ目の味までも同定するに至っている。6番目はカルシウム味 (コク)であり、7番目は脂味だという。確かに、コクのある食物とないものがあり、加えて霜降りやトロは極上の味として重宝されていて、しかも何度も食べたくなる。
しかし味というのは文化に左右されるのも事実である。納豆の味については日本人の中でさえ、賛否両論がある。赤ワインを宗教的に血の一滴とみるか渋い酒とみるかは、どこで生まれどこで育ったかによって異なる。味覚と判定されるためには、どの人にも同等な反応が起きなければならない。
科学的に基本味というには、味細胞に受容体またはそれに相当するチャネルが同定されなければならない。舌の上にある味蕾には味覚を受容する細胞(味細胞)があり、その細胞表面には各種の味を感知するタンパク質が存在する。鍵と鍵穴のように味物質に結合するのが受容体、味物質が結合すると孔が開きイオンが流れるものがチャネルである。甘味、苦味、うま味に対しては特定の受容体が見つかっている。また、塩味(ナトリウム)に対してはNaチャネルが、酸味に対してはHチャネルが発見されている。カルシウム受容体は見つかってきているが、脂味ではまだ分かっていない。6,7番目が正式に認定されるのは、もう少し先になりそうである。
味を変える物質
この「味」について、奇妙な発見があった。味を変える果物が見つかったのである。その果物を食べたあとでは、酸っぱいものが甘く感じられるというのである。驚くべきことに効果は30分から2時間も続く。ミラクルフルーツと名づけられた果実から抽出されたその物質は、191アミノ酸からなるタンパク質であり、ミラクリンと名づけられた。このミラクリンは、それ自体が甘味を持つ物質ではない。味覚の研究者たちは、ミラクリンは舌の上のどこかの受容体に作用して味を変えているという推測はしていたものの、実態は明らかではなかった。最近、我が国の研究者たちは、その分子機構を明らかにしたのである。
甘味受容体
甘味受容体は、T1R2とT1R3という2種類のタンパク質でできていて、2つの分子が協調して働いて甘味を感知している。阿部らは、ミラクリンと甘味受容体との結合を調べたところ、中性では酸っぱい物質はミラクリン存在下でも甘味受容体に何も影響を与えなかったが、酸性条件下で酸味物質がミラクリンと共存すると甘味受容体を活性化することが判明した。つまり、ミラクリンが甘味受容体の性質を変え、酸っぱいものを甘く感じさせるように働いていることが分かったのである。
どちらにしても、一見酸っぱそうなレモンを食べても甘く感じるのだから、不思議な感覚である。添加物として利用できれば、面白いものがたくさん生まれるに違いない。
甘味とうま味
ここでもう1つ覚えていただきたいことがある。私たちは、うま味の受容という特別な感覚を備えている。うまいものの典型が、昆布、鰹節、椎茸である。これらは出汁に必ず入れられるものとして有名で、各々の主成分がグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸である。これらのうま味物質は、舌のうま味受容体に結合して、細胞に電位変化を引き起こしそれが脳に伝えられる。興味深いのは、うま味の受容体がT1R1とT1R3という2つの分子から成り立ち、それらが協調して働きうま味を感知することである。
数行前に書いたことを覚えていますか。何と、甘味とうま味ではT1R3が共通なのである。T1R3に遺伝的欠損があるとどうなるかについては、マウスの研究がある。この変異マウスは、甘味を感じることのできないマウスになってしまった。当然、うま味も感じなくなる。
以上の事実を考えると、ミラクリンはうま味も変えるのではないかという疑問が出てくる。分子レベルで調べてみると、ミラクリンはT1R2に結合していることが分かった。これなら、甘味だけに影響を与えるのは当然である。
味を変えると
ミラクリン以外に味覚を変化させる物質はあるのだろうか。実はいろいろなものが見つかっている。熱帯果実からとられたネオクリンという物質も見つかっている。これも酸味を甘味にかえるものであるが、ネオクリン自体が甘いという点が異なっている。味が変わると食生活が一変する可能性がある。同時に、味を受容するタンパク質に遺伝子変異があると、同じものを食べていても違った味に感じる、ということも考えられる。グルメ時代に興味深いことが分かってきたものだ。遺伝子変異を持つ人のために2種類の料理を出す時代が来るかもしれない。
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