【連載】

科学の知識であなたが変わる

石浦 章一
(生命科学者・東京大学大学院総合文化研究科教授)

 

〈偶数月第3月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

ロゴスドン第71号

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第18回

アルツハイマー病の治療

 
 私の専門がアルツハイマー病と聞いて、この病気は遺伝するのですか、とか、タバコや酒は悪いのでしょうか、という質問を受けることがある。簡単に最新の事情をご紹介しよう。

アルツハイマー病の原因
 アルツハイマー病は認知症の原因の約半分を占める疾患で、我が国には認知症患者が125万人いると推定されている。今は65歳以上の方が3千万人近くになる勘定なので、もうすぐ一家に1人が認知症、という時代が来ようとしている。
 アルツハイマー病は、神経細胞が死滅することによって発症し、記憶障害を始め行動異常を起こすことが知られている。原因はもうわかっていて、ベータアミロイド(Ab)と呼ばれている小さなタンパク質が脳に蓄積し、周囲の神経細胞を殺すと考えられている。なぜ、これが犯人かというと、アルツハイマー病の患者さんの脳からAbが見つかったというだけではない。一般に若年性アルツハイマー病は遺伝性の要因が強いのだが、この遺伝性アルツハイマー病の責任遺伝子3つがすべてAb産生に関係する遺伝子だったからであった。まずAbの前駆体であるアミロイド前駆体タンパク質(APP)が犯人の1つ、APPを切断してAbをつくるタンパク質分解酵素プレセニリン1、その類縁体であるプレセニリン2が共に犯人であったのである。つまり、Ab産生に関わる酵素と基質のどちらか一方に遺伝子変異があると正常にAbが代謝されず、遺伝性アルツハイマー病になるということがわかった。
 もう1つの証拠は、病理的にアルツハイマー病とダウン症の脳が似ており、どちらもAbの蓄積が見られるという点である。ダウン症は第21染色体が3本ある疾患で(正常では2本)、第21染色体遺伝子の1.5倍程度の過剰発現がアルツハイマー病を導くという説なのだが、APP遺伝子が第21染色体に存在することがわかり、これも状況証拠の1つとなった。最近、APP遺伝子重複(APPの1.5倍の発現)によってもアルツハイマー病になる家系が見つかり、APP過剰発現説は正しいものと考えられている。

アルツハイマー病の治療
 もし上の理論が正しいなら、Abを除くことによってアルツハイマー病の発症を防ぐことは誰でも考えつくことであろう。AbはAPPから2段階のタンパク分解を受けて作られることがわかっている。Abを作るタンパク分解酵素βセクレターゼとγセクレターゼを阻害する薬剤が治療薬になることは誰でもわかる。しかしこれらの標的はどれもタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)であり、ご存じのようにプロテアーゼは基質特異性が一般に低いために特異的な阻害剤の開発は困難を極めたのである。そのため、今もって良質なものは得られていない。

ワクチン療法
 私はAbを用いたワクチンを作っているが、動物実験ではこれはどんな薬よりも良く効いている。70歳で認知症になる人は、50歳頃から脳にAbが蓄積し始めており、早くからワクチン療法を用いないと期待するような良好な結果が得られないと私は考えている。現在、米にAbを発現させたものを持っており、特殊なお米を食べればアルツハイマー病にならないという時代が来るかもしれない。読者の皆さんは、期待して待っていてほしい。

新薬登場
 もちろん現在の主流は薬物治療であり、神経伝達物質であるアセチルコリンの分解を防ぐ抗認知症薬が第一の選択肢である。ご存知のように、アルツハイマー病患者ではアセチルコリンを神経伝達物質に使っているコリン作動性神経が最初になくなっており、アセチルコリンを補充すれば認知機能が保たれるのではないかという一種の対症療法として利用されている。数年前まではドネペジルという薬が主役だったか、最近、いくつかの新薬が使えるようになった。ガランタミン、リバスチグミン(パッチ薬)という薬である。もちろんこれらはドネペジルと同じ作用を持つので、併用はできない。しかし、アセチルコリンを分解する酵素(アセチルコリンエステラーゼ)によく似たブチルコリンエステラーゼという酵素も生体に存在し、これにも効くのが新薬の特徴である。
 一方、動物実験でグルタミン酸受容体の1つであるNMDA受容体が記憶にかかわるという結果が利根川進を中心として発表されていた。この受容体を標的とする薬メマンチンも発表され、特に重篤なアルツハイマー病患者に効く、といわれている。このメマンチンは、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬と併用できるのがミソで、これらの開発により治療薬の選択肢が大きく広がることになった。

他に手はないか
 薬よりも、生活習慣を変えることによってアルツハイマー病にならなければ、そんなによいことはない。ご存知のように、生活習慣病(動脈硬化、糖尿病、高血圧、肥満)はアルツハイマー病の大きなリスク因子であり、二次的にアルツハイマー病になる人の数は多い。お酒はほとんど寿命に関係しない(ただし、毎日ビール缶半分!)が、タバコは大きなリスクになることが分かっている。これらのことが分かっていてもタバコを飲むのが止められない人は、認知症のリスクが高いのは仕方がないし、ボケてしまえば当人はそれでいいのかもしれないが、介護の負担を考えると、生活習慣を今からでも変えるのは遅くない。皆さん、是非、頑張ってください。


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