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KUCO/PIXTA(ピクスタ)
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前回まで3回にわたり取り上げた忍性(1217-1303)からやや遅れて世に出た宗教家のひとりに、一遍(1239-1289)がいる。律宗の忍性と時宗の一遍。組織的な戒律復興と非人救済を基軸に奈良や鎌倉を拠点に活躍した忍性と、念仏(阿弥陀如来)信仰を掲げて全国津々浦々を遊行した一遍は好対照をなすとみなされることも多い。しかし、それぞれの方法で社会から排除された人々・差別された民に温かい手を差し伸べたという意味においては、共通するものがある。忍性の活動内容とそれを支えた原動力についてはすでに述べたので、同様の視点から一遍について考えてみることにしたい。基本史料は一遍十回忌の折に作製された『一遍聖絵』である。
文永11年(1274)、36歳の一遍は領地や家を処分して遊行の旅に出発した。故郷伊予を出た一遍が最初に向かったのは、阿弥陀信仰の霊地・四天王寺(大阪府)であった。ここで初めて賦算(南無阿弥陀仏と書かれた念仏札を配ること)を行っている。遊行に賦算、そしてこの5年後に始まる踊り念仏は、一遍ならびに時宗の宗教活動を特徴づける「三種の神器」と呼んでも過言ではない。このうちのふたつが始められたことの意義は大きいが、まだ確固たる布教信念を得るには至らなかったようである。
四天王寺から高野山金剛峰寺を経て向かった先が、熊野である。熊野の山中ですれ違った僧に賦算を試みたときのやりとりを見てみよう。
一遍「ただ一度念仏を唱えれば極楽往生できると信じ、南無阿弥陀仏と唱え、この念仏札を受け取ってください」
僧 「今はそうした信心が起こらないので、札を受け取ることはできません」
一遍「仏教を信じる心がないのですか」
僧 「仏教の教えは疑っていないが、あなたの仰ることを信じる気持ちが起こらないのだから仕方がないでしょう」
困惑した一遍は、結局札を押し付けてしまう。なぜ仏教を信じているのに念仏札は受け取らないのか……このモヤモヤを解決するべく、山中の熊野本宮(証誠殿)に参籠祈願した。まどろんだ一遍の前に山伏の姿で現れた熊野権現はこう告げた。
「念仏を勧めるそなた、どうして念仏を悪く勧めるのだ。そなたの勧めで人々が極楽往生できるわけではないぞ。阿弥陀如来がはるか昔に正しい悟りを得たとき、すべての人々の往生は南無阿弥陀仏と唱えればよいことに決まったのだ。信じるとか信じないとか、浄いとか浄くないとか関係なく(=浄・不浄をきらわず)、その札を配りなさい」。
熊野権現に導かれた一遍は、自力から他力へと転換を遂げたのである(今井雅晴編『一遍辞典』東京堂出版、1989年)。
ちなみに熊野と阿弥陀信仰の関係について触れておくと、平安時代末期から熊野をこの世の浄土とみなす思想が広まった結果、熊野本宮の本地(正体)は阿弥陀如来であると信じられるようになった。熊野権現が一遍の阿弥陀信仰を後押しした理由も頷ける。
熊野権現のお告げとされる文言のうち、とりわけ「浄・不浄をきらわず」という箇所は興味深い。身分や貧富の高下にとらわれない究極的平等観を説いていると読めば、非人救済の思想として注目に値する。
近年この文言を再検討した研究成果を参考に「不浄」の意味を捉え直してみると、それは死穢・産穢などの穢れのみならず、身体から発せられる汚物全般を含む包括的な概念ということになる(矢崎佐和子「『一遍聖絵』巻第三「浄不浄をきらはす」について再考する」
(『時宗教学年報』52、2024年)。そうすると、身体的特徴から穢れた存在として忌み嫌われた癩者(ハンセン病患者を含む皮膚病の患者)もこれに含まれるであろう。
これが熊野権現自身が発した言葉ということであれば、なおのこと「浄・不浄をきらわず」の持つ重みがよく実感されるのである。
『一遍聖絵』を通覧すると、路頭に暮らす非人達の姿が各所に描き込まれていることに気付かされる。その描写具合から癩者と判断されているものもあるが、絵の説明文にあたる詞書では言及されていない。一遍らとの関係性、救済を受けていたのか、どういう意図で描かれたのかといった事情がわからないのである。
後代の史料ながら、『一遍上人年譜略』には「目や耳に障害がある者・癩者・乞食たちが食べ物を求めてくると、一遍はこれを哀れみ与えた」という旨の記述がある。これは「浄・不浄をきらわず」の精神に合致しており、史実を伝えている可能性が高い。遊行で全国を歩いた一遍ゆえ療養施設を建てるなど永続的な活動は望むべくもなく、散発的・偶発的な施しであったにせよ、遭遇した個々の人間の救済になったことに目を向けるべきであろう。
熊野権現のお告げを受けた数年後、一遍は豊後国別府を訪れている。現在日本有数の温泉地として知られる別府であるが、一遍は別府温泉の中核である鉄輪温泉を開いた人物とされている。鉄輪温泉をはじめとする別府の温泉の母体は、鶴見岳という活火山であった。『一遍上人年譜略』では、同所の温泉は「熊野権現の方便の湯」とされている。その意味するところは、熊野権現のお告げにあった「浄・不浄をきらわず」という発想に基づいた誰にでもオープンな温泉ということであろう。実際問題としては、何らかの事情で不浄扱いされた人々を対象にしていると考えるのが自然である(差し障りのない人々のための温泉ならば、とくに断り書きを入れなくとも他にいくらでもわけだから)。
熊野には古くから湯の峰温泉があった。癩者など不治の病を抱えた人々が、不浄を嫌わない熊野権現の力にすがり温泉での快復を願って訪れたという。一遍がかかわった別府の温泉にも、同様の役割が期待されたことであろう。
一遍に仏教者として進むべき方向性を示した熊野権現。そのお告げにあった「浄・不浄をきらわず」という言葉は、社会から排除された人々・差別された民を救う姿勢を一遍に刻み込んだといえる。
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