【連載】

日本中世の宗教社会史・心性史

稙田 誠
博士(文学、別府大学)
佐藤義美記念館学芸員、別府大学非常勤講師

 

イラスト
KUCO/PIXTA(ピクスタ)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

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第1回

イントロダクション
―中世社会の「住人」と宗教―



 近年、日本の中世史(おおむね12世紀から16世紀。平安時代後期から戦国時代頃までの歴史)がある種のブームとでも呼ぶべき活況を呈している。一般書・小説・漫画・ゲームなど、さまざまな媒体を通じて取り上げられ、話題を呼んでいる。以前から人気が高かった戦国時代はもとより、従来さほど知られていなかった時代・人物・戦い・習俗などにも光があてられていることも特徴といえるだろう。室町幕府の将軍や、村(荘園)の歴史にまで関心が寄せられているのはその好例である。一方では深刻な歴史離れが指摘される中、X(旧ツイッター)などのSNSを主たる拠り所に、自説や歴史に対する思い入れが自由に語られている現況は、基本的には好ましいあり方だと思っている(もちろんネットリテラシーの問題など手放しで称賛できない面はあるが)。
 かくも人気が高まっている中世史であるが、そこで語られる主体について考えてみよう。突然だがクイズである。源頼朝、道元、後醍醐天皇、日野富子、武田信玄、フランシスコ・ザビエル。歴史の教科書でもお馴染みの彼・彼女ら6人の共通点は何であろうか? 頭を柔らかくして考えてみてほしい。一見、点でバラバラな名前が並んでいるように見えるが、少なくともひとつの共通点を有している。
 答えは、「全員が人間であること」である。何をあたり前のことを、と笑われるかもしれない。真剣に考えて損した、と腹を立てないでほしい。やや人を食った設問かもしれないが、中世史を考える際に、私が重要と考えるポイントに気付いてもらうための導入とご理解願いたい。あえて時代・性別・出身地・身分階層・職能といった違いを超えて「人間」という大枠でくくったのは、次に示すような「人間」以外のカテゴリーの存在を示すために他ならない。中世社会の「住人」は、人間(中世人)だけではなかったのである。
①  動物:中世人の身辺には、家畜から野生の動物まで無数の(人間以外の)動物がいた。
動物と人間の関係性は、両者の距離が大きく離れた(ペット以外の動物との接触を忘れつつある)現代とは比較にならないほど近しいものであった。牛・馬・猿・狼・犬・鹿・狐・蛇など、ときに信仰対象とされるケースも稀ではない。あるいは、大地や水・木々など、人間や動物を育む自然そのものも信仰対象とされた。人間と動物・自然との関係性も、時代によって大きな違いがあることには注意が必要である。
②死者:先に示した「人間」というカテゴリーは生命ある人間を念頭に置いているが、中世人にとって死は人生の終着点ではなかった。死後の行き先としては、極楽や地獄などの「あの世」が思い浮かぶが、あの世に行かず現世にとどまる死者たちもいたようである。史料中には恨みや未練によって成仏できないパターンが目につくが、時宜に応じてあの世から帰還したり、子孫などを近くで見守るため、あえてこの世にとどまる例も確認される(『今昔物語集』31-27など)。 
③神仏:中世人にとって、仏教などの宗教に由来する神仏も決して遠い存在ではなかった。後述するように、人間にはない不思議な力(神威)を持つ多彩な神仏が人間にたいして影響力を及ぼすと信じられていたのである。人間にはない不思議な力を有するという意味では、妖怪・モノノケなども神仏に近い存在とみなすことができるだろう。
 中世人は、①~③のような人間以外の住人と同じ社会に共存していた。言い方を変えれば「中世を舞台に生きたのは人間だけではなかった」のである。歴史というと、政治の仕組みや文化遺産、戦いの顛末など人間の営みを追究するのが普通であるが(無論これ自体は間違いではない)、人間以外の存在も「中世を生きた住人」と意識的に把握することによって、より立体的・総合的な歴史像が構築されていくのではないだろうか。
 
 上記のような考えから、本連載では人間以外の存在をも含み込んだ中世史の一端を見ていく。とりわけ神仏と人間の関係性に着目してみたい。神仏=宗教が生んだ産物である以上、中世の宗教そのものないしは宗教家にも言及していくことになるだろう。では、中世における神仏の特徴とは何か。ここでは、俯瞰的に大まかな特徴を列記してみたい(拙著『寺社焼き討ち』戎光祥出版、2022年)。
(1) 神仏は仏像・人間・動物・自然物といった具体的な姿形で顕現した。
(2) 神仏は人智を超越した不思議な力(神威)を発揮する存在であった。
(3) 神仏は人間には持ち得ない神威を有していたものの、完全無欠の超越的存在ではなく、欠点や限界を露呈させることもあった(超越性と人間性の具有)。
 以下、若干の補足説明を加えておこう。(1)に記したように、神仏ははるか彼方の雲をつかむような存在ではなく、人間の目に見える姿形をとることが多かった(大喜直彦『神や仏に出会う時』吉川弘文館、2014年)。それぞれ個性を持った神仏は、人間と対面し交感(やりとり)が可能な存在と信じられていた。(2)は、神仏が神仏たる所以である。ある場合は死後の救済という形でもたらされ、ある場合は現世利益として人々を喜ばせた。現世利益は、病を治してほしい・戦に勝利したい・子どもを授かりたい・力を身に付けたいといった願いを叶える形で届けられた。これらは神威がプラスに作用した例であるが、神仏に非礼を働いた場合や第三者からの悪しき祈願を神仏が引き受けた場合などには、病気にする・財を失わせる・命を奪うといった恐ろしい形で発揮されることもあった。相反する神威を有するかに見える神仏であるが、善神―悪神といった二元論で割り切るのは適切ではないだろう。多くは両面を兼ね備えていたと思われる。たとえば、説経節「しんとく丸」に登場する清水観音は、病を与えたかと思えばこれを癒す効験をも示しているのだ。
(3)はややわかりにくいかもしれないが、神威を身にまとった神仏も完全無欠の存在とはいかなかったようである。その証拠に、人間に恫喝されたり、無残にも破壊された神仏もあった。あるいは、神仏のいわば家にあたる寺社が焼き討ちされることも、中世を通じて見受けられた現象である。宗教の歴史(信仰の歴史)というと、敬虔な信者の話として語られるのが常道であるが、それのみでは説明しきれない複雑な様相を呈していたことも頭の片隅に置いておきたい。人間も神仏も、矛盾に満ち満ちているのである。
 今回は初回ということで、本連載のねらいと前提を略述した。次回以降、人間とそれ以外の中世社会の「住人」にかんする様々なエピソードを具体的な史料を通じて考察する中から、中世の宗教史について見ていく。そこから浮かび上がってくるであろう中世人の心性(心もよう・メンタリティー)についても意を払うようにしたい。歴史を学び考えることは、究極的には人間そのものを見つめ直すことに繋がるのであり、そこに歴史学の意義と魅惑があるのだ。


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