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KUCO/PIXTA(ピクスタ)
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戒律復興と社会事業に邁進した西大寺流律宗の僧忍性(1217-1303)。とりわけ非人救済(ここでいう非人は乞食・身体障がい者・癩者など中世身分の最下層に置かれた人々の総称)を中心としたさまざまな社会事業は、内容・規模ともに日本仏教史上類例稀な実践活動と評されている。活動の指針ともいえるのが、奈良から鎌倉に拠点を移して10年が経過した文永9年(1272)に立てた10の誓い(十種大願)である。
①力の及ぶ限り三宝(仏・法・僧)の興隆に尽くす。
②勤行や談義などを怠らずに勤める。
③遊行のときなども三衣一鉢(三種類の衣とひとつの鉢)は自分で管理する。
④輿や馬には病気でない限り乗らない。
⑤特定の人物からの祈祷依頼を受けない。
⑥孤独者・貧窮者・乞食・病人・目が見えない者・足腰立たない者・牛馬など、路頭に捨てられた者たちに精一杯憐れみをかける。
⑦難所には道路を造り、水路(川)には橋を架け、水がない所には井戸を掘り、山野には樹木や薬草を植える。
⑧自分に害を加えようとする者をも友と思い、救済する。
⑨点心(昼食前の軽い食事)を禁じ、手間暇かけたものは食べない。
⑩以上の願を修して功徳を得られたら、すべて自分のものとせず、悉く生きとし生ける者たちに振り分ける。
まず、諸活動の拠り所となる仏法を盛んにして、自分自身を厳しく律する強い覚悟を宣言している。その上で、社会的弱者とみなされていた人々・人間以外の動物に対する働きかけや公共インフラの整備など、広い視野に立った具体的な項目が示されている。⑦に掲げられた公共インフラについて調べてみると、道路を71箇所・橋を189箇所・井戸を33箇設けたという(『性公大徳譜』)。たんなる掛け声で終ることなく、着実に結果として残したことが重要である。
とりわけ⑥は、忍性の活動を特徴付けるものとして強調されてきた。中でも癩者をはじめとする非人救済について触れないわけにはいかない。厳密にいうと、癩病はハンセン病を含む皮膚病全般を指す言葉である。ここでは歴史的事実解明のため敢えて用いるが、差別を助長する意図はないことを明記しておきたい。
文殊信仰に基づいた西大寺流律宗の非人救済活動は、授戒・施行・治療に大別できる(松尾剛次『忍性』ミネルヴァ書房、2004年)。授戒は、仏道を歩む者に戒律を授けることであるが、滅罪の効果も期待された。癩病は前世や今生で仏教誹謗などをした結果蒙る仏罰と信じられていたため、それから免れることを願ったのである。
施行は、食料・金品・乞食するのに必要な諸道具(鍋・筵・頭を包む白布など)を与えることである。授戒や施行は、文殊菩薩を非人の化身に見立てた文殊供養の際などにしばしば行われた。
治療は、療養施設の開設や薬を与えることのほか多様な方法が想定される。
忍性はいずれの方法も行っているが、いかにも忍性らしい救癩行為として、困っている癩者をオンブして送り迎えした話が有名である。
叡尊とともに非人救済活動を開始して数年が経過した仁治三年(一二四二)頃のこと。奈良坂に歩行困難な癩者がいた。当時西大寺にいた忍性はこれを哀れみ、朝にはオンブして奈良の市に連れて行き、夕方には連れて帰ったという(『性公大徳譜』)。生きていくために不可欠な町場での乞食を援助したわけである。
鎌倉時代末期にまとめられた『元亨釈書』では、生まれ変わりの後日談が添えられている。数年間に及ぶ忍性の行いに感激した癩者は「私は必ずこの世に生まれ変わってあなたのもとにお仕えし、恩に報います。その際には顔にひとつの瘡を目印とします」と言い残して亡くなった。後に顔に瘡がある者が忍性に弟子入りすると、人々はあの者の生まれ変わりであると噂したという。
癩者=穢れた存在という認識が蔓延っていた時代、その身体に触れること自体がタブーであった。後に人々が忍性を「医王如来」と称賛し、師の叡尊が「忍性は慈悲が過ぎた」と感嘆したのは、当時の常識にとらわれず文字通り身を呈して癩者の望みに応えたためであろう。
ところで、近世に編まれた『律苑僧宝伝』や『本朝高僧伝』ではオンブの逸話を紹介した後、手ずから癩者の身体を洗ったという話が付け加えられている。はたしてこれは後世のフィクションであろうか。忍性が51歳の頃から拠点とした極楽寺には、癩者のための施設として療病院・癩宿・薬湯室・薬師堂が設けられた。このうち薬湯室は施浴(垢すり)のための施設と考えられる。さらには忍性の志を受け継いだ西大寺流律宗の僧たちも湯屋を営み、自ら垢すりを行っていたことが少なくとも14世紀頃までは確認されている。忍性も、癩者の身体を洗っていた可能性が高い。
オンブと施浴(垢すり)。ともに直接的な身体接触をともなう救癩行為である。これによって、病と差別に苦しむ癩者に皮膚感覚を通じて人間の温もりや同じ社会に生きている実感を伝え、肉体的にも精神的にも心地よい安楽をもたらしたと考えられる。忍性の話ではないが、わかりやすい好例をひとつ追加しよう。近世に成立した『観自在菩薩冥応集』に、癩病を患った武士が清水寺に参詣し、夢で観音の化身である老翁に遭遇する場面がある。優しい言葉をかけられ、労わるように手で身体を撫でさすられた武士は「身心安楽」を感じたという(稙田誠「中世的救癩行為の実態とその原動力」『日本宗教文化史研究』29-2、2025年)。
上記のような行為が、肉体的精神的にプラスの効果をもたらすのであれば、広義の治療とみなせる。忍性らによる慈悲心に根差した「触れる行為」が有した効果は、現代看護におけるタッチングなどにも通じるものがあると評価したい。
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