【連載】

地域学

五島 高資
(医師、医学博士、俳人、地域学者)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

 

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第13回

12. 「地域学」各論

 
14. 鰐浦

 わたしが比田勝に赴任したころ、病院へ続く坂道の並木に光をばら撒いたように咲く小さな白い花が目に付いた。木に吊された名札に「ヒトツバタゴ」と書いてあった。病院の職員から「ヒトツバタゴやったら、鰐浦にいっぱい咲いとるよ。」と聞き、週末に催されるという「ひとつばたご祭」を楽しみにしていた。ところが、あいにく病院の日直が重なっており、祭の前日に鰐浦に行くことにした。

 鰐浦は比田勝から北西に五キロほど行ったところにある小さな漁港である。鰐浦への峠を越えて目に入ってきたものは、港を抱きかかえるかのように峙つ山の斜面いちめんの目映い白い光である。ヒトツバタゴの別名「海照らし」とは、まさにこの一景に尽きる。この鰐浦は、朝鮮半島へ渡航する拠点として古典に見える「和珥津」である。港へ下ると左手に本宮神社があり、かつて神功皇后が御座船を繋いだという「ともづな石」が、皇后の行宮跡と伝えられるこの神社の境内に残っている。祭の前日だったので人もまばらで、かえってのんびりと散策することができた。

  海照らし山照らし魂照らすなり     高資

 鰐浦からの帰りは、韓国が見えるという小高い山に登ったが、あいにくぼやけた水平線しか見ることはできなかった。天気の良い日でも海面からの水蒸気で見えない日が多いらしい。しかたないので山頂のベンチでしばらくうたた寝していたら、「あら先生、何ばしよっと?」という声が聞こえた。びっくりして起きあがると、病院の婦長とそのご主人が散歩に来ていたのであった。その日は、朝鮮海峡に落ちる夕日を見届けてから帰宅した。

 その後、鰐浦にはたびたび訪れた。在宅診療の患者さん宅へ伺うと、採れ立てのヒジキやウニなどを頂いた。特に鰐浦のヒジキは巨大で、長さ数メートル、幅一センチくらいになる。

  日と月と束ねられたる鹿尾菜かな     高資

 鰐浦の沖には海栗島という小さい島があり、航空自衛隊のレーダー基地になっている。そこに百名足らずが駐屯している。朝鮮半島を望むこの地は今も昔も戦略上重要な位置なのである。鰐浦から北に突き出す岬には、かつて戦艦赤城の主砲が据えられていたという砲台跡が残っている。崖の下に開いた砲台内部への入口をくぐると、薄暗い廊下が幾重にも伸びている。赤錆びたパイプが並ぶ動力室の横を抜けると、そこだけ眩しく光る場所がある。天上の岩盤がくり抜かれた台座跡である。真上には大砲の代りに夏草に囲まれた円い空が覗いていた。

  昼顔を咲かせて消える巨砲かな     高資

                

15. 鳴滝

 さて、ここ上対馬病院でも厳原の時と同様に出張診療に出かけていた。わたしは、比田勝から東側つまり日本海側を南におよそ二十キロ下ったところの一重という漁村にある診療所へ通っていた。その途中、比田勝を出て一つ目の峠を越えたところに原生林に覆われた綺麗な円錐形の山がある。オロン岳という。オロンとは「おろち」つまり龍蛇神に由来する。その山の中腹に鳴滝という対馬最大の滝がある。仏炎苞をかかげる蝮蛇草に睨まれながら杉林を行くと小さな鳥居が現れる。その鳥居をくぐると照葉樹林へと植生が変わる。沢から流れ出た清流は、しだいに水量を増し、淵を抜けて右へ曲がると一気に落下する。滝壷への道を下ると、落差十数メートルの瀑布が立ち現れる。

  瀑布へとからだを運ぶからだかな     高資

               

15. オメガ塔

 鳴滝を過ぎてさらに南下すると舟志湾に出る。海湾と言っても陸地に深く入り込んでいて水平線は見えず、まるで湖である。その舟志湾に突き出た岬にオメガ塔は立っている。世界を八局で網羅する通信施設で、船舶が現在位置を確認するためのオメガ波を発信し、地上四百五十五メートルの高さ日本一を誇っている。

  龍天に岬にはオメガ塔立てり     高資

 わたしは対馬の地図を見るたびに、上空から見た島の形が龍の姿に似ていると思う。かつて烽火台があった上県町の千俵蒔山は目玉であり、舟志湾は口であり、比田勝港は鼻である。まるで龍が炎を吐くかのように、ちょうど舌のあたりに立つオメガ塔からは電波が発信される。その舌の付け根にあたるところに、その名も霹靂神社がある。神籬である朝日山古墳を背後に、その小さな社殿は海に向かって建っている。冬には大気より温かい海面から水蒸気が立ち登る。

  日本海入れて湯気立つ溺れ谷     高資

                

15. 舟志川

 舟志湾に流れ込む舟志川を遡り、道は山中に入る。しばらく行くと川の向こうに久頭乃神社がある。この神社は『津島亀卜伝記』に見え、かつては亀の甲羅で吉凶を占う亀卜所であったという。現在、亀卜神事は厳原町の豆酘に残っている以外はすべて廃れてしまった。河原から続く参道を通り、拝殿にて祝詞を唱えると社殿や周りの木々に反響して清々しい気分になる。さらに上流へ進むと河畔に紅葉の群生が現れる。このあたりにはよく対馬シカが現れるという。しかし、最近急増した対馬シカは特産の椎茸を食い荒らす厄介者となっている。〈奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の云々〉と風流ばかりも言っていられない。秋の「もみじ祭」には、仕留められた鹿の肉が振る舞われる。

  たまきわる紅葉且つ散るがらんどう     高資

             

16. 琴

 やがて道は横坂の峠を越えて、琴という漁村に至る。まもなく右手に大きな銀杏の大樹が現れる。かつて港に入る船からはまるで小山と見紛うほどであったという。看板には「日本一の大銀杏」と書かれている。樹齢千五百年、周囲十二・五メートルの銀杏の木からはたくさんの気根が垂れている。皺だらけの幹に触れると、植物の持つ偉大な生命力が伝わってくる。おそらくこの地は風水でいう龍穴の一つなのであろう。

  空と海むすんで眠る大銀杏     高資

                 

17. 一重

 琴を抜けて城岳を越えると、やっと一重の集落に到着する。一重診療所のすぐ前の小さな港には、トロール船や烏賊釣船がひしめき合うように停泊している。この一重港は大陸棚の豊かな漁場に近く、季節風の影響の少ない風避けの港として今も昔も多くの漁船が立ち寄っている。診療所の隣には駐在所があり、偶然にもわたしの中学生時代の同級生が警察官の夫とともに住んでいた。はるばる対馬の地で再会するとは夢にも思わなかった。

  烏賊釣の火まで歩いて行けるかも     高資

        *

 対馬での二年間はあっという間だった。平成九年三月、わたしは母校の大学院に進学するため対馬を離れることになった。対馬を発つまさに三日前、友人に誘われて夜の鰐浦へ出かけた。潮騒だけが聞こえる真っ暗闇の向こうにきらきらと輝く光が見えた。まるで宇宙に浮かぶ未来都市のようなそれは確かに釜山の夜景であった。対馬に来て今まではっきり見ることができなかった韓国が手を伸ばせば掴めるくらい近くに見えた。

 初めて島に上陸したときは闇夜であったが、島を離れる日は、桜が咲き始めた明るい春の日であった。上対馬病院の仲間が見送るなか、わたしは比田勝港から小倉行きのフェリーに乗り込んだ。港を出ると甲板から殿崎のヘリポートが見えた。かつて急性クモ膜下出血の患者さんを本土の病院へヘリコプター搬送したことなど思い出した。つらい出来事もあったが、対馬での生活は、わたしにとってかけがえのないとても貴重な体験であった。そして様々な縁にも恵まれた。

 薄れゆく対馬の島影が一瞬しかし確かに龍の背中に見えた。

  ありねよし龍の背中は山ざくら     高資


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