【連載】

地域学

五島 高資
(医師、医学博士、俳人、地域学者)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

 

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第32回

 

31. 「地域学」各論 新型コロナウイルス感染症と「地域」

(2) 新型コロナウイルス感染症による社会構造の変容

① 日本における特殊な事情
 新型コロナウイルス感染症に対する対応として、当初、大規模な感染拡大を起こした中華人民共和国では、一定期間、対象となった地域における人の移動を制限し、経済活動を禁止した。同時に、新型コロナウイルス感染症に特化した療養施設の建設を急ぎ、感染症患者の隔離と治療を行った。これらの迅速な感染対策は、強力な国家権力によってこそなし得るものであり、個人の自由を強制的に制限することが可能な法制度を持つ国しか行えない措置である。国際的には、そうした非常事態に一定の人権制限が可能な国が多く、各地で、いわゆるロックダウンという「都市封鎖」による感染拡大の抑制が行われ、一定の効果が見られた。
 もっとも、日本にあっては、憲法上、基本的人権を制限する非常事態条項がないために「都市封鎖」は不可能とされ、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置に基づく要請による感染拡大の措置しか講じることができなかったのは周知のことである。しかしなが、この強制力を持たないスローガンであっても、度重なる感染拡大の危機に対応できたのは、それを受け止める国民側の善良なる行動変容によるところが大きい。何の罰則もないのに自粛という選択をした日本人の民度の高さが浮き彫りにされたと言えよう。もちろん、その裏では、特に、対面を基本とする外食産業やその関連産業、その他にも様々な自粛を余儀なくされた産業が被った経済的打撃は大きく、一年半にも及ぶ危機的事態による損害は甚大である。一定の公的援助も行われているが、十分な補償と言えるものではない。ただ、通勤による会社での仕事を避けて、在宅勤務(テレワーク)が増えるに伴って、いわゆる「巣ごもり」生活を過ごす人が多くなると、情報関連産業、それらに関連するインフラ整備や宅配業などの需要が高まり、そこに商機を得た産業も出現した。いわゆる、K字回復という、ウイズコロナの時代における経済構造の二極化が見られるようになった。

② 日本人の行動変容
 前項では、法的あるいは経済的な観点から、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う社会構造の変化を簡単に俯瞰したが、ここでは、個人の生活スタイルをはじめ地域社会における変化について見ていきたいと思う。
 そもそも、疫病の蔓延は古代から見られ、例えば、奈良・平安時代における天然痘ウイルスによる疱瘡あるいは痘瘡の流行はよく知られている。奈良時代における天然痘による死者は、100〜150万人とも言われ、これは当時の人口の約30%に当たるとされている。朝廷は、疫病の調査を行う制度があり、その実態が『続日本紀』などに残されている。もっとも、特徴的な症状から疱瘡という伝染性の病気であることが把握されており、その診断や治療法などが記された太政官符が発布されている。これらの疫病対策は、おそらく、典薬寮が主導したと思われるが、当時の科学には限界があり、一般的な療養指針の域をでないものであった。一方では、無実の罪で自害に追い込まれた長屋王の祟りが疫病の原因と考える向きもあった。いずれにしても、目に見えない何物かが、人から人へと伝染して発症する病気に対する畏怖もまた人から人へ伝染してゆく。人々は祟りを恐れて、都を離れたり、病人を隔離したり、あるいは、物忌みとして、現在の「巣ごもり生活」のような自粛を行ったりした。その結果、天平の疫病大流行は、738年(天平10年)の1月には、ほぼ終熄を迎えたとされる。このように、おおよそ江戸時代後期に至るまで、科学的に診断や治療法が確立されていない疫病の蔓延に対しては、むしろ、経験的あるいは宗教的な畏怖による自発的な行動変容がある程度の効果をもたらしたと言って良い。
 今回の新型コロナウイルス感染症の蔓延においては、いち早く、ウイルスによる伝染性の疾患であることが判明し、飛沫や接触などによるウイルスの伝播を防止することが感染の拡大を防ぐことが科学的に推奨され、そのために、マスク着用、手洗いの励行、「3密(密閉・密集・密接)」回避が重要とされた。前二者は、個人的な感染予防策であり、特にマスク着用は諸外国に比して日本人には受け入れやすい社会的慣習があり、手洗いの励行も日常的に容易に受け入れられた。しかし、「3密」の回避は、特に公共交通機関を利用する通勤者にとっては、容易なことでは無かった。ここに来て、ようやくテレワークの普及による在宅勤務が広まったが、それを実施できるのは、通信インフラが整った環境を持つ企業に限られ、また、対面業務を専らとする職種にあっては不可能に近いという課題が残されている。最近では、完全な「3密」の回避が非現実的ということから、「人流」を以て過密の指標として、これを極力減らす対応へとシフトしている。これは携帯電話の位置情報などを利用して、客観的な過密状態を把握できる利点があり、実際に人流と感染者数とは有意な相関関係を示している。
 これまで、度重なる緊急事態宣言が発出されているが、その度に、人流は減少し、新規感染者数も減少傾向を示している。諸外国における都市封鎖のような強権発動なしに、政府から発せられる注意喚起の言葉のみで、行動変容がもたらされ、結果的に感染拡大の抑制に繋がっているのは、まさに日本における民度の高さによるところが大きい。それは、古代から疫病対策としての太政官符が発布されて来た歴史的な要因もあるかとは思うが、その背景には古来の「言霊信仰」も影響しているように思われる。現代の科学といえども、病原の特定は可能になったが、それが肉眼で見えないのは古代と何ら変わりはない。その見えないものを畏れるには、為政者による誠実な言葉が必要なのである。誠実な言葉であれば必ず国民はそれに応えてくれる。「言霊の幸ふ国」という国柄は時空を超えて日本の国を護持しているように思われる。もちろん、先の大戦における偏狭な精神主義的による誤った言葉は論外であるが。
 このような行動変容による感染拡大の抑制に加えて、ようやく、2021年5月頃から、新型コロナウイルスに対するワクチンの接種が始まり、遅ればせながら科学的な感染予防が感染拡大の抑制に相乗的な効果を発揮し始めている。最近では、日本でスーパー中和抗体なども開発され、変異株への対応にも期待されるところである。もちろん、まだ予断を許さない状況に変わりは無い。


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