【連載】

地域学

五島 高資
(医師、医学博士、俳人、地域学者)

 

〈毎月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

 

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第11回

9. 「地域学」各論

 
5. 小茂田
 佐須川は田畑を抜けて東シナ海へとそそぎ込む。その河口に小茂田という小さな漁港がある。厳原港は日本海に面しているが、この小茂田港は東シナ海に面している。つまり、南北に細長い対馬は東に日本海、西に東シナ海を分ける分水嶺ならぬ分海島なのである。港の北側には拳大から人頭大の丸石ばかりの海岸が広がっている。夕方には東シナ海の水平線にたぎり落ちる夕日を見ることができた。落日の彼方は中国である。

  右手より溶かす入り日の鉏の海     高資

 神功皇后摂政五年、人質として来日していた新羅の微叱許智伐旱が帰国を許され、葛城襲津彦に付き添われて新羅へ帰る途中、「共に対馬に到りて、鉏の海に宿る」と『日本書紀』に記されている。この金且の海は朝鮮海峡を指し、鉏とは鋤のことであり、農耕や鉄文化などが渡来した海のシルクロードであったことが指摘されている。しかし、この海のシルクロードは大陸から豊かな文明をもたらしただけではなかった。
 文永十一年(一二七四)十月五日夕刻、九百艘の軍船が小茂田浜に襲来した。元寇である。直ちに対馬守護代宗資国は八十騎の手勢を率いて小茂田浜へ出陣した。しかし相手は四万の大軍である。それでも二時間にも及ぶ激戦を繰り広げ、ついには助国はじめ全員が討ち死を遂げた。その宗助国の御霊が小茂田浜神社に祀られている。参道を歩く玉砂利の音に死よりも尊いものの響きを聞く思いがした。

    蜻蛉やシナ海という最期あり     高資
                 

6. 阿連
 小茂田浜から北へ十キロほど行くと、阿連という集落がある。ここには「オヒデリサマ」という太陽を祀る天道信仰が残っている。農耕は太陰暦と関係が深いため壱岐では月読尊など月神が祀られるのに対して、日中に行われることの多い狩猟漁労が中心の対馬では太陽が祀られることが多い。干上がった沢伝いに昼なお暗い森の中に分け入ると、椎の巨木の傍らに小さな遥拝所がある。社殿はなく森や山自体がご神体であるいわゆる神籬である。現在でも神職であり雷大臣の末裔とも言われる橘家と氏子たちによって祭祀「オヒデリサマ」が守り続けられている。

  椎の木を祀りまぶたの裏に入る     高資

               
7. 久根
 一方、小茂田浜から南へ十キロほど行くと久根という集落がある。ここには、わたしが隔週で診察に出向いていた久根診療所がある。実は、この診療所の窓から見える山の中腹に、安徳天皇陵と伝えられる墳墓が祀られている。安徳帝と言えば、壇之浦の戦いにて、「今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」 と詠んだ平二位の尼前とともに海中に没したとされているから、はじめは、何かの間違いだろうと思っていた。
 ところが、ある日、診察が終わってから、その安徳天皇陵があるという小高い山に登ってみることにした。診療所の向かいにある農家の牛小屋の脇を抜けて細い山道を登っていくと尾根伝いに石段が現れる。その石段を登り小さな鳥居をくぐると社殿はなく石垣に囲まれた社叢のみがあり、御陵への入口は白い格子戸によって閉ざされていた。
 もちろん、高知県越知町の安徳天皇潜幸伝説のような口碑は多いが、格子戸の傍らに「宮内庁管理地」と書かれた立て札が立っていたのには驚いた。確かに絶海の対馬のさらに山間のこの地ならば源氏の追手もそう易々とはたどり着けそうもないなと妙に納得しつつ、安徳帝のここでの生活は如何なるものであったろうかとしばし思いを巡らした。

  わたなかに都ありけむ合歓の花     高資

               
8. 豆酘(つつ)
 久根からさらに南へ十キロほど行くと対馬の最南端に位置する豆酘という集落に至る。 雲刺山を越えると豆酘崎と神崎という二つの岬に抱かれた青く明るい海湾が現れる。木造の豆酘小学校の脇から町中を抜けて細い路地を田圃の方へ向かうと龍良山につづく森が現れる。高御魂神社の神籬である。ここに祀られている高御産巣日神は、『古事記』や『日本書紀』における天地創造、万物生成を行う造化三神の一人として日本創成に深く関わる神である。また古代、稲が日に感光し米が生じると信じられ、高御産巣日神は稲に日をむすぶ神として農耕生産の神でもある。
 神社へ向かう小径の左側に古代米である赤米を作っている神田がある。今でもこの赤米を神米として栽培しているのは、岡山県総社市新本と鹿児島県種子島茎永とここ対馬の豆酘だけだという。現在の日本における栽培種とは違って、赤米は文字どおり米自体も赤いが、その稲穂もまた赤く、赤米の神田は他の稲田のなかでひときわ目立つ。収穫された赤米はそれ自体がご神体として祀られる。

  ひたすらに天地をむすぶ赤穂かな     高資

 この豆酘には、俳人の宇多喜代子氏をご案内したこともある。宇多さんは、赤米を自ら栽培するほど赤米に造詣が深い。実は、私が大学生の頃、「未定」という俳句結社の出版記念会に出席したときに、赤いご飯を頂いたのは憶えていたが、その時は、それが赤米だとは全然知らなかったのである。その時の赤いご飯が、宇多さんが自ら收穫した赤米だったと知ったのは、宇多さんから「対馬に行きたい」と連絡を受けたときであった。まさに奇遇であった。
 さて、対馬いづはら病院に一年勤務したあと、わたしは平成八年六月より対馬最北端の上対馬町比田勝にある上対馬病院へ転勤となった。  (つづく)


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