哲学カフェ

 

〈奇数月第1月曜日更新(祝日の場合は翌営業日更新)〉

 

 

次回のテーマ・締切りはこちらへ

バックナンバー

HOME

第67回

菌とは何か
 

(五十音順に配列させて頂きました/編集部)




生命の素

 鈴木康央(奈良県奈良市)


 ここでは「菌」を、きのこやウィルスや細菌も含めた広義の「菌」として使わせていただく。
 「菌」と聞いて最初に思い出したのが、以前読んだ「ヒトはなぜ人になったか」(中原英臣、佐川峻 共著)という書物である。それにはこう書いてあった。
「ダーウィン進化論では、遺伝子は生殖によって次の世代に伝わる垂直移動しか考えていない。ところが自然界では、遺伝子はウィルスという道具を使って個体から個体へと水平に移動する。この遺伝子の水平移動は、時として生物の種を超えて行われることもある」・・・つまり、進化とはウィルスによる伝染病の結果ということである。
 その証拠の一例として、「キリンの首はなぜ長い」がある。ダーウィンの進化論によれば何世代もかかって徐々に変化するのだから、途中の段階、即ち中途半端に長い首を持ったキリンの化石が発見されてもいい筈だが、それが全くない。とするとこれは遺伝子による一世代の変化、即ち新生物の誕生としか考えられないというわけだ。
 専門家でない私としては、この説の真偽などどうでもよく、その奇抜な発想に驚嘆し、またその発想の元となっているのが今西錦司博士の「すみわけ論」に基づいているということへの賞賛である。独創力がないとよく言われる日本人からも、これだけのオリジナルな発想が生まれているのである。とにかく私はこの発想が大いに気に入ったので、これを信じることにした。
 というわけで、難点の多いダーウィンの進化論など吹っ飛んでしまって、菌こそが生命を変化させ、新生物を創造しているという話になる。「味の素」風に言うなら、菌は「生命の素」的存在なのである。もっとも菌自体にそんな自意識などあるわけがなく、ただ自らの生存繁殖のための行為に付随した結果にすぎない。それを現代の人間の立場から菌に良し悪しの区別をしている。これはコマーシャル的な「善玉菌、悪玉菌」というような話ではなく、生物界の根本的な問題なのである。
 というのは、人類はその頭脳を頗る発達させ(てしまっ)たために、今や遺伝子までも操作するまでに至っている。そして本来ニュートラルな、しかし恐るべき力を秘めている菌まで意図的に操作することも可能となっている。畢竟「良い菌、悪い菌」があるのではなく、菌を利用して「良いもの」も「悪いもの」も作り得る人間に「善人、悪人」の区別があるだけ、というのが実際のところではなかろうか。頭脳と金と権力を持った人間ほど恐ろしいものはない。
 余談ながら、今日の技術で菌を拡大写真にして目にすることが出来るようになったが、私としてはあんなのは見たくない。概して微生物の拡大写真というのはどれも似たような形体をしていて、何やらうじゃらっこくて気持ち悪い。あれじゃ悪玉のイメージに直結して、潰したくなってくる。菌は遺伝子をも変化させる神秘なるものとして見えないままにしておきたい。
 菌でもう一つ思い出した。H.G.ウェルズの「宇宙戦争」でも宇宙人の襲撃から救ったのが、地球上の菌であった。人類の最新兵器も役に立たず、結局昔から共存している小さな小さな生物が人類を救ったという話だ。しかしここには等閑に付せない教訓が含まれている。
 言うまでもなく、この半年の人類の恐慌も、この微生物の為せる業である。現代の地球人は、菌にとっては宇宙人に等しい、ということか?


コロナ菌は主体性なき魔物である

 浜田節子(神奈川県横須賀市)


 見えない新型コロナの菌に脅かされ、世界はパニック状態である。
 生物は動物・植物などに分類されるが菌類はどちらに入るのか、眼に見えない微生物、細菌は人の体内に入ってマイナスの働きをする。
 死に至る病を惹き起こすこともあるし、抗体として反応し生体にプラスに働く免疫を作る場合もある。
細菌、ばい菌が生体に反応すれば疾患となり発病を免れない。わたし達はやみくもに菌を畏れ避ける傾向にあるが、病理学の分野では抗体反応を日夜研究し、現今のコロナ禍の収束に過大な期待をかけられている。
 人々がワクチン接種に押し掛ける場面があるのだろうか。

 感染の恐怖、クラスターの発生を聞くが、どういう因果関係なのかが今一つ鮮明になっていない。ひたすらマスク・手洗い、ソーシャル・ディスタンスで人との距離を取りましょうなどと注意を勧告されている。
 コロナ菌は世界中に拡散し世界を苦境に立たせている、まさに戦争である。見えないから油断しがちだけれど、感染者の数が驚異的に増えている事実を考えると緊張が走る。顕微鏡で確認すれば存在は明らかである病原菌。

 生き残れるだろうか、不安がよぎる。菌の侵入は人を選ばない。どこでどうして?少しでも体調に不安のある人は決して外に出ないようにとの注意喚起は日々叫ばれている。空気感染でない以上、外出しなければ感染の可能性はないが、コロナ菌が消滅するという保証もない。

 菌、細菌は人類の最大の敵なのだろうか。人類滅亡にまで至らせる強力な悪魔菌、総てを消滅させる日が来るのだろうか。人間はそれほどの微力なのだろうか。
 逡巡、生と死に関わる《菌》への挑戦。人類の歴史は連綿と続いている、切れるはずがないという思い込み、高慢さが菌類の逆鱗に触れているのかもしれない。
 菌への敬意、「あなたの凄さには感服いたしました。どうかこれ以上は…」なんて通じるわけもない。

 生きている菌と生き続ける権利がある人類との共存は、常にデータの集積/分析と発見に尽力しなければならない。菌への飽くなき挑戦が生命の砦である。
 しかし、最後に善玉菌の恩恵を忘れる者でないことを付記しておく。


キノコから細菌まで

 平川己津子(東京都品川区)


 『菌』という言葉を聞いて、思いつくのは新型コロナウィルスの感染が世界中で猛威を振るう2020年8月の現在、細菌だろう。しかし菌には菌類であるキノコがあり、また細菌も中には乳酸菌などの腸内細菌として良い細菌と呼ばれ活躍している菌もある。先述のコロナウィルスをはじめとしたウィルスは細菌と違い、細胞を持たずヒトの細胞に入り込み仲間を増やすもので、細菌とは違う。ほとんどのウィルスは病気を起こす要素として考えられるが、菌は悪いものもある反面、良いものもある。人間が共存するべき存在が菌なのである。
 人間にとって恐ろしい菌の中には、赤痢菌、百日咳菌、淋菌、そして炭疽菌などがある。中でも炭疽菌は人類が初めてワクチンの開発に成功した細菌として知られるが、同時に生物兵器として人為的に感染を促すことができる細菌として恐れられている。日本でも第二次大戦中には生物兵器の開発を満州で行っていた部隊の存在が注目されており、細菌戦の恐怖だけでなく、生物兵器を使用した参戦への反省は常につきまとうものであるべきである。
 恐ろしい菌とは反対側にある、身体に良いとされる菌には乳酸菌やビフィズス菌がある。所謂、善玉菌である。乳酸菌は漬物やヨーグルトなどの発酵食品を製造する際に欠かせないし、ビフィズス菌は乳糖やオリゴ糖の分解に関わっているといわれている。実は乳酸菌を与えたマウスでは不安や抑うつ症状が軽減したり、ファーストフードを食べ続けて体調を崩した被験者の腸内ではビフィズス菌が減少したという研究報告もある。乳酸菌やビフィズス菌には下痢、便秘を改善したり、免疫機能を賦活する効果があるとされる。パーキンソン病は腸管で始まり、神経を通じて脳に広がるという研究結果を報告した博士もいる。腸の健康は脳の健康にもつながるということだろう。いずれにしても腸内の細菌の働きが関与している。
 細菌のパワーは無視できないものである。ヒトの生き死にを左右するものもあるし、精神疾患にまで影響を与える場合もある。毒キノコを食べて死に至る際には苦しみと恐怖をヒトに与える。『菌』とはヒトにとって軽視できないものである。


「菌」とは、きのこである

 前川幸士(京都府京都市)

 

 「菌」という漢字は音読みすると「キン」であるが、訓読みすると「きのこ」である。目視した情報から、樹木などに寄生している植物と考えられていたようである。近代以降は、そこにカビや酵母など、似たような性質の生物が加えられるようになり、さらに顕微鏡によって確認された微生物であるBacteria(バクテリア)も「細菌」とよばれるようになった。さらに、20世紀末にはBacteriaから切り離されたArchaea(アーキア)も「古細菌」とよばれている。日本語や中国語でいう「細菌」は正確には菌ではない。逆に、茸や黴、酵母といった本来の菌が「真菌」とよばれている。日常的に耳にする結核菌や乳酸菌などは細菌に属するため、菌ではない。因みに、ウィルスは微生物ではあるが、細胞を持たないなど基本的な構造が異なり、大きさも違うため菌ではない。
 同じ微生物であっても、DNAが細胞内で核膜に包まれて核を形成している真核生物でないもの、つまりDNAがそのまま細胞の中に収まっている原核生物であるものが細菌である。そして、細胞すら持たないものがウィルスである。さらに、真核生物の微生物であっても、原虫や粘菌は、狭義の菌つまり真菌ではない。また、粘菌にも真正粘菌と偽粘菌があり、偽粘菌の方が真菌に近いという。要するに研究成果と新しい発見によって、既存のカテゴライズに矛盾が生じているのである。
 そもそも、菌が「きのこ」つまり茸、菌あるいはMushroomの類であるとしても、これは植物なのか動物なのかも問題である。きのこは見た目から植物と考えられてきたが、DNA解析の結果、動物と近い関係にあることが判明したという。つまり、きのこは、植物でもない動物でもない第三の分類つまり菌類に属する。実体としてのきのこは、カビと同様に生物群としては菌類なのである。菌糸と呼ばれる管状の細胞列で、体外に分泌する酵素で有機物を分解吸収することで生長し、胞子を出し繁殖を繰り返す生物である。つまり、新しい発見によって、既存のカテゴライズに矛盾が生じたのである。
 我々が、日常生活で使用している言葉あるいは記号は、全て定義(definition)されたもので、それを共通認識として一定の範囲内で共有しているに過ぎない。数学で式によって、記述されるのと同じである。記述された文章によって定義されたものは矛盾しない限り、あるいは不合理でない限り、何を定義しても問題ない。定義が正しいか正しくないかを判定する基準を公理(axiom)といい、この公理は共通認識として正しいと思われていることを正しいと仮定するものである。そして、正しい文章が真(true)であり、正しくない文章が偽(false)である。
 「私は、嘘つきです。」という文章を読むと、「この人は嘘つきだ、この人の言うことには気をつけよう」となるかも知れないが、仮に、この人が嘘つきであるなら、本当のことを言っているので嘘をついていないことになる。もし、嘘つきでないなら「嘘つきです」と嘘をついていることになる。正しいとも正しくないとも言えない文章であるが、これは「嘘つき」というカテゴリーが曖昧であることが原因である。つまり、「嘘つき」は集合として成立していない。曖昧な概念で、カテゴリーを示す言葉としては不適切である。真である文章と判断する方法は、その文章を偽として扱うと公理に矛盾(contradiction)することが示される場合である。偽である文章と判断する方法は、真であると判断する方法と同様に、真であるとすると、矛盾することが判る場合である。
 従来、自分で動ける生物を動物と言い、自分で栄養素を作れる生物を植物と定義してきたが、この定義では、きのこのような菌類もミドリムシも定義できないし、カテゴライズもできない。
 言葉というものは定義であり、その共通認識でしかない。人間によって発見されなければ、認識されなければ、カテゴライズされることもなく、定義されることもなく、存在していても、存在していないことになる。


菌とは地球船の大切な乗組員である

 山下公生(東京都目黒区)


 地球の歴史は46億年といわれ、6億年の歳月をかけて核、マントル、地殻が完成し、さらに3億8000千年後に原始海が出現し、その海で地球最初の生物が誕生した。それが現在の我々人類を含む全生物の共通祖先といわれる菌である。(神は言われた、「水は一つに集まり海となり、乾いた地、陸を現れよ」。神はそれを見て良しとされた。聖書より)
 地球は、核、マントル、地殻、海、陸、大気圏、生物圏、等の地球循環エネルギーと、太陽エネルギーとの相乗効果により、多様な生物の共存する楽園である。菌は生物圏のエネルギー循環である食物連鎖ヒエラルキーの最下層に位置し、生物と無生物とのエネルギー循環を連結する役割を担っている。その生物圏の最下層の細菌と、生物と物質との中間の存在がウイルスである。その細胞(粒子)構造は、タンパク質合成に機能するRNAか、遺伝情報の伝達に機能するDNAのいずれか一つのみである。自ら増殖できないので動物や人などの細胞の中に潜入して増殖する。生物である細菌は、寄生主内に定着して細胞分裂で自己増殖しながら、寄生主の細胞に侵入するか、毒素を出して寄生主細胞を分解して寄生主の細胞を占領する。細菌の基本構造は、DNAとRNAの両方を持っており、細胞の中に仕切りなく入り、原核生物といわれ細胞膜と細胞壁を境に、細胞外構造として線毛や鞭毛があり、細胞内構造は染色体とリボソームのみである。病気の原因となる大腸菌や腸内環境改善に効果のあるビフィズス菌などがある。さらに上層階級に位置するのが、真核生物でありカビの総称の仲間である真菌類である。我々の食生活に欠かせない麹は、カビの仲間であり、最初の抗生物質ペニシリンは青カビより精製された。真菌の動物的なものを原虫といい、病理学的には寄生虫一般を指す。ここで要約すると生物最下層の微生物には、細菌、真菌、原虫があるが、菌というと一般的に細菌と真菌である。人の細胞の大きさは10万分の1ミリで、その半分が真菌、10分の1が細菌、200分の1がウイルスである。
 人間は、文明進歩の影の部分で神を見失い、地球を自分の所有物と勘違いするようになった。自然豊かな山林を宅地造成し、海には汚染水を垂れ流し、いくつもの種を絶滅させて生態系を壊してきた。また菌を大腸菌などのバイ菌とビフィズス菌などの良い菌とに分類し、その他、害虫と益虫、害獣と益獣など、生物を善悪に選別するが、地球の生物には善悪はない。あくまでも、人間の生存に利益をもたらすか、不利益になるかの人間側からの選別である。人類の生存のために益をもたらす生物を尊重し、害をもたらす生物を除去するのは、種の保存法則の必然的帰結ではあるが、世界人口は指数的に増加を続けている。過度の偏重は地球のエネルギー循環に支障をきたし、最終的には人類の存続が危ぶまれる結果となる。菌は不可視であるため食物連鎖エネルギー循環の一環であることが、つい見落とされてしまうが、食物連鎖の生物と無生物との連結という重要なポジションを担っていることを深く認識しなければならない。地球に菌が存在しない場合を想定すると、枯れた植物や動物の屍は菌により土に分解還元されず、土壌の生成が進まず作物や植物は次第に減少し、草食動物、肉食動物と順次減少し、やがては食物連鎖の崩壊を招き、最上階に位置する人間の生存は危ぶまれる事となる。
 地球を宇宙を航海する地球船に喩えるならば、人間は船長であり、細菌は船底で動力管理している機関長である。ここで確認すべきは、地球船は神からの借用物であり、航路を決定するのは船長ではなく神なのである。神は地球を創造される時、無駄なものは一切お造りにならなかった。そして人間を最高の恩寵をもって愛しまれるが、地球を人間の勝手気ままに支配せよとは言っておられない。即ち菌とは、地球船の大切な乗組員である。


HOME
株式会社ヌース出版
107-0062 東京都港区南青山2丁目2番15号 ウィン青山942
(TEL)03-6403-9781 (E-mail)logosdon@nu-su.com

Copyright © Nu-su Publishing Inc. All Rights Reserved.