哲学カフェ

 

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第96回

餓鬼とは何か
 

(五十音順に配列させて頂きました/編集部)


 


餓鬼とは現在を正しく生きるための縛りである

 くうりん(岐阜県加茂郡)


 餓鬼とは「生前の罪のため餓鬼道に落ち、飢えと渇きに苦しむ亡者。」(『集英社 国語辞典』)である。仏教用語であり、私たちにはなじみが薄いかもしれないが、「餓鬼道」という言葉はよく聞く。すなわち「六道の一つ。生前に欲の深かった者が死後に行く所。ここに落ちた亡者は常に飢えと渇きに苦しむという。」(『集英社 国語辞典』)。私も亡き祖母からこの言葉を聞いたことがあり、知っている。
 祖母はやんちゃ坊主だった私によく説教をしてくれた。「餓鬼道」もその一つだった。祖母は地獄絵図も持っていて、それを見せてくれながら「悪いことをすると地獄に行くんだ。だから悪いことをしてはいけないよ」と教えてくれた。それは正しいやり方だったのだろうが、子どもの私には怖くてたまらなかった覚えがある。祖母は私が悪いことをするたびに、それを行ったので、私には地獄の恐怖感しか残っていない。
 「餓鬼道」もその地獄絵図の中にあった。ここに落ちると腹がすいて仕方がないという。それで食べるのだが、どれだけ食べても腹が満たされない。それが「餓鬼道」の掟なのだという。聞いた当時は「怖い」という思いが先走ってしまい、冷静な判断ができなかった。子供であるがゆえに仕方が無かったろうと思うのだが、大人になってから考えてみると、食べても食べても腹がすかないというのは、ある意味幸せではないか思うようになった。現実世界でも好きなものを好きなだけ食べられるのは幸せである。そうすると、「餓鬼道」とは自分が好きなものを食べられるだけ食べられるわけで、だったら行きたいとも思った。
 しかし、実際にはそうではない。「餓鬼道」に落ちてしまった亡者は、常に食べ続けなくてはならないわけで、それはそれで辛いものである。また、好きなものだったら良いが、嫌いなものを食べさせられるのだったら話は別だろう。だからこそ、「餓鬼道」は良い意味では使われないわけで、だからこそ地獄の六道にあるのである。食好きなもの食べられるだけ食べて幸せになるのだったら、それは極楽にあるべきだが、そうではないからこそ「餓鬼道」なのである。
 「餓鬼道」は、そう考えると「現在を正しく生きるための縛りである」と考えられる。地獄に落ちるのは嫌だし、ましてや「餓鬼道」に落ちるのはもっと嫌だ。だったらまっとうに生きようと思う人たちが多くなれば、犯罪などは減っていくのではないか。
 地獄絵図にしても最近の子どもたちは知らないという。地獄絵図を知らないのだから、餓鬼道など知る由もない。これも大人が残酷なものは見せないという方向で教育をするからで、だから子どもたちは地獄のイメージがつきにくい。「悪いことをしたら地獄に落ちるんだよ」と教えてくれた私の祖母は、その意味できちんと教育をしてくれたと言える。いや、祖母だけでなく、昔の人たちは地獄に落ちないように子どもたちを教育してくれていた。だからこそ、「地獄に落ちないように」子どもたちは自分を制していた。少なくとも私も、私の周囲も、同じ思いを抱いて生きていた。昭和の時代は自由な面がある一方で、不自由さがあった。それは道徳的な面だったように思う。倫理的に大人が子どもに対して厳しかった時代、それが昭和であると感じている。
 繰り返そう。餓鬼とは現在を正しく生きるための縛りである。餓鬼とは苦しさと辛さを伴っている。それは、食べ続けなくてはならないという掟である。そして、悪いことをした人間は地獄の、「餓鬼道」に落ちる可能性がある。私たちは地獄の怖さを子どもたちに伝え、「悪いことをしたら地獄に落ちるよ」と教えてやらなくてはいけない。そう思うのだが、令和の時代でこの考え方は古いだろうか。それとも、新しいだろうか。私にはわからない。


餓鬼とは、食人をする者のことであり、戦争は人間を餓鬼に変える

 島袋櫂(愛知県)


 戦争体験の聞き書きをした。話し手の方は幼少で餓死しそうだった。私は、今は豊かだが心が貧しく、昔の方が良かったと思うと安易に述べると、彼は「今の方がいい、月とすっぽんだ」と語った。彼はその幼少時代のトラウマで一生苦しまれた。その後、戦争資料館に行ったり、具体的にどんな戦場があったか調べたり、戦争資料を大量に観たりしている。
 太平洋戦争では、上層部は杜撰な運輸計画で無謀な作戦を立てたため、概ね餓死者が半数を占めたという。
 インパール作戦では、牟田口司令官のもと補給が杜撰で、片手の手のひらと少しくらいの米を小隊(約100人)の1日分として分け、「今日は米、5粒もある」と言って、一粒ずつ吸い込んだという(「NHKスペシャル ドキュメント 太平洋戦争」)。
 日本軍では食人が横行していた。これはその名の通り「餓鬼」である。
 「餓鬼」には別の意味があり、餓鬼大将の餓鬼の意味もある。現在の信じがたいほど、生命の大切さや素朴さが失われた世界を「限界世界」と呼びたい。若者が観ているファンタジー、アニメには先進国の貧困が描かれている。学生生活、特に教室が、バトルロワイヤル化している。そのなかで軍国主義が若者に広がっている。その教室内のバトルロワイヤルに続く、その後の進学と就職という「平和」のなかの「服従の地獄」から安易に逃れる幻想として戦争をみる。
 空中分解化する平和のなかでうすら気味悪い軽い軍国主義のラッパが鳴り響いている。アメリカとイランも戦闘状態に入った。
 独裁者たちは、貧困による不安を利用して、ナショナリズムを煽り立て、その単純な物語を振りまき、無意識に働きかけ、票と支持を得ようとする。
 私はその人の真贋を計るための一つのヒントを述べておきたい。もし、その人が「予算制約線」に囚われている場合、その人は苦労されている人だ。もし、SNSから得た誤情報を信じている人なら止めてあげた方がいい、ということだ。
 歴史は、個人の精神的、人格的発展に縮小されるように、国家の状態は、個人、社会に縮小して現れる。国家の政治的泥沼のせいで、家庭、社会、地域などを分断することは愚かだ。それが実質的なことを決めるのではない限り、愚かな政治家どものせいで、身近な人との関係を悪化させるのは勿体無いし、賢明でない。しかし、堂々と議論をする自由は大切だ。
 しかし、一つ言えそうなことは、空腹なものには、叱責ではなく、食事を与えよということである。例えば、年金制度の崩壊による老後崩壊は深刻だ。
 貧困とは債務を負ったために、何をしてでも稼ごうという獣道である。それこそ、本当の意味での貧困だ。組織が飢餓状態、餓鬼になっていることもある。
 しかし、私は同年代の若者に、もし戦争になったら、さらに状況は悪化し、人を食いたくなるほど、腹が減るのだということを知って欲しい。戦争をして利権を他の国から奪えば済むわけではない。特に、グローバリゼーションでは、貿易の協力体制、サプライチェーンを分断することはお分かりのはずだ。戦争は金儲けにはならず、一部の軍需産業の利益だけで、実際は、物価が上がり貧困になるのだということを。それは国家と国家の戦争だけでなく、人間関係でも同じだと言えそうだ。もし、人間関係が崩壊すれば、自分は役割を失うかもしれない。
 今のウクライナやガザでの戦争が、太平洋戦争と違って、兵士だけの戦争であり、市民が巻き込まれないことなど決してないし、その悲惨さが薄れているわけでは決してない。それは動画で瞬時に映像が観られる時代に、直ちに、ご理解頂けるだろう。そして、現在は核爆弾という人類全体の終焉の可能性がある。ガザでは、物資が途絶え、まさに飢餓状態である。
「鬼滅の刃」は、「餓鬼」になった人を解放する物語だと観ることもできる。それはロード・オブ・ザ・リングを古典とする系統だが、「餓鬼からの解放」は、現在、必要とされている物語なのかもしれない。


施餓鬼によって救われる

 鈴木康央(奈良県奈良市)


 関西地方では特に喧嘩の場面でなくとも、冗談も含めて「ガキ」という言葉がよく使われる。「このガキや・・・」という具合に。この「ガキ」は「餓鬼」でもなく「子ども」でもない。単なる卑語、威嚇するための言葉である。従って高校生が老人に向かって用いることもある。「ガ」と「キ」で喝音系なので、言いやすく語勢がいいのでつい口に出るのであろう。
 さて本来の「餓鬼」は「餓鬼道」、すなわち「飢えた鬼」の姿を表す言葉である。これは単に食物に飢えた状態を指すだけではない。あらゆる物に対して感じる強度の欲望を抑えきれない状態、端的に言うと「我利我利亡者」の姿である。これに関しては数回前のテーマ「貪欲とは何か」と重なる部分が大きいと思う。必要以上に人々の所有欲をかきたててばかりのこの世は、正に「餓鬼道」に陥っているのかもしれない。ということは人間の本性は「餓鬼」であるということなのだろうか。
 ここで「施餓鬼」というものを考えてみたい。この仏教用語は元々は餓鬼道に落ちた亡者のために行う供養であったのであろうが、今では盂蘭盆に菩提寺で先祖の供養をしてもらう行事となっている。つまり「飢えた鬼」に限らず亡者一般が対象となったわけである。
 私はここに仏教の「惻隠の情」、憐れみと救いの教えを感じるのである。我利我利亡者に対しても救いの手を、ましてや多少なりとも物欲に取り憑かれた多くの亡者に情けをかける心である。それはどんな人でも一つ間違えばいつ何時餓鬼道に落ちるやもしれないという警告と、仮にそうなっても決して見捨てない慈悲を示すものであろう。仏教の基本は「自他を分け隔てないこと」である。人を救うことは結局自分を救うことにもなる。これこそ他ならぬ「色即是空」のエッセンスであろう。
 ここで幾分私見的ではあるが、私の「色即是空」観を確認しておきたいと思う。まず「空」とはあらゆる魂、生命の源、エネルギーが渾然一体となっている状態、というよりも時空的な感覚のもの。絶対的な精神、完全なパワーを持つものである。すべての生命体の根源がここにある。生物学者なら、DNAと言うかもしれない。その「空」から生まれるのが「色」である。即ち個体の誕生である。「空」の魂、生命力、エネルギーを持ちながらも、そこに個性が付加される。モデルとして「空」を内包する薄い膜でできたしゃぼん玉のような球体を想像してくれればいい。その膜が「色」である。それは各個体によってすべて異なっている。つまりそれぞれがアイデンティティーを持つことになるわけである。しかし一方、それゆえに膜によって「空」と遮断され、統一した精神を失うことにもなる。お互いに以心伝心的に通じ合うことが出来なくなってしまう。そこで各個の学習が必要となり、同時に喜怒哀楽という感情が生まれ、その感じ方も個によって違ってくる。結果として差も生じてくる。即ち好みの差、貧富の格差、価値観の差・・・これらの違いを緩和させるために互いに学び、努力しなければならなくなる。さもないと争いが始まるであろう。「色」を持つと「空」の状態のような絶対的安定安心感はなくなる。しかしそこに(特に人間は)感情を楽しむことができるということだ。
 テーマに戻ろう。仏教の基本は「空」にあると思う。従って貧富の格差など「色」による災いには救済の手を差し伸べる。餓鬼も見捨てないということだ。
 余談ながら「地獄絵図」に描かれている餓鬼の姿は、現代でも栄養失調で苦しんでいる子供たちと似た、細い手足と異常に膨らんだ腹が印象的である。


餓鬼とは死人や死体のことである

 前川幸士(京都市伏見区)


 通常、餓鬼とは、いつも飢えと渇きに苦しむ亡者のことをいう仏教の用語である。輪廻転生する六道の下から二番目が餓鬼道であり、ここにいる亡者は、飢えと渇きに苛まれ続けなければならない。ここから転じて、食べ物をガツガツ喰らうところから、子どもに対する別称として、さらに、他人を侮辱する言葉として使われるようになった。そこから、貪欲にものを求める様子を形容する表現となり、時には、愛着を込めて発せられることもあるが、基本的には、罵るための言葉である。本来は、ただの死人や死体、屍を指す言葉であったということであるが、それならば、死人は、ものを欲しがったりしない筈である。既に死んでいる人間が、食物や飲水を求めることもなければ、貪欲にものを求めることもあり得ない。
 ところで、私が、小学生の頃に持っていた『なぜなに月と宇宙のふしぎ』という小児向けの図鑑に、「いろいろなうちゅう人」なるページがあり、そこに「ミイラ宇宙人」として紹介されていた宇宙人が、絵草紙などで見る餓鬼にそっくりであった。頭頂が禿げ上がって、側頭部に仏像などに見られる螺髪のような螺旋状に縮れた毛が付着しており、手足が異様に短く痩せ細り、腹部だけが異様にせり出して膨れ上がり、眼が、これも異様にギラついていた。解説には「手足にくらべて、どう体がずんぐりと大きい。からだが青白く光る、ゆうれいうちゅう人。千年も長生きする。」と書かれていた。子ども心に、この絵が非常に恐ろしかった。そのページを開くのが怖くて、とうとう仕舞には、その本が自分の部屋にあることまでもが嫌になってしまった。それくらい強く印象に残っている。今思うと、ゆうれいうちゅう人が、なぜ、長生きなのか、すでに死んでいるのではないか、だからミイラなのかも知れないが、ミイラも死人であり死体ではないかというような、ツッコミどころ満載であるが、当時は、恐ろしくて仕方なかった。そのくらいこの餓鬼のようなフォルムは衝撃的であった。
 この宇宙人のフォルムは、昔の絵草紙などに描かれていた餓鬼の絵、飢饉のおりに、食物が無く水ばかり飲んで亡くなったため、手足が痩せこけ、腹部のみが異常に膨れ上がった死体=餓鬼の形象である。
 元来、餓鬼とは、サンスクリット語で”Preta”、パーリ語で”Peta”であり、逝きし者、死んであの世に赴いた人、つまりは死者や死体を意味する言葉であった。その概念が中国に伝わり、中国語で死霊を意味する言葉である「鬼」と合成され、さらに、中国式の祖霊信仰において、子孫の供え物を待ち続ける餓死者としての餓鬼となったようである。
 因みに、パーリ語の仏典『餓鬼事経』には、同僚の悪口を言っていた者が、死後に餓鬼となって苦しんだという話もある。口による災禍が飢えや渇きに苛まれる死者となったということになる。古代中国では、これら諸々のエピソードや概念が合成されて、六朝時代に、死後に飢えと渇きに苛まれる亡者としての餓鬼の形象が完成し、当時の富裕層である貴族階層に対する大いなる戒めとなったと考えられる。古代インドの原始仏教や老荘思想では語られなかった死後の世界であるが、ネストリウス派キリスト教の影響から勧善懲悪の寓話として、現世だけでは説明のつかない因果応報を来世に求める、この種の話が語られるようになったのである。
 いずれにせよ、死後の世界の人間像であり、それもマイナスイメージの方の姿である。飢饉などで、餓死した路傍の死体の印象が強く、その死体が飢えと渇きに苛まれた断末魔の様子が、餓鬼のイメージとして定着していったものと考えられる。本当は、餓鬼が貪欲に食物や飲水を求めたのは断末魔のことであり、死後のことではない筈である。人間も生物であり、死を忌み嫌う。特に非業の死を遂げたであろう人の死体は、自分の将来像であってほしくない。だからこそ、忌避すべき死体としての餓鬼のイメージが定着したのである。


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